20140928

函 館 へ



青空に青い海。 船越しに函館山。 フェリーで函館に降り立った。 
サイクリングに海峡を越える艘の移動入れるだけで、うどんにスダチを掛ける位の変化。
青森大間崎と北海道函館は30km程の距離 1時間30分の旅である。 


九州大分~四国愛媛、 四国香川~神戸、 四国徳島~和歌山、 愛知渥美半島~三重鳥羽 と来たら、もう残るメジャーな区間は青森~北海道しか無い。 

  
実は大間まで来てしまうと、飛行機で帰京するのに青森や八戸まで引き返すのもなかなか辛くて、現実問題として函館から飛行機で帰ったほうが余程効率的なこともあった。
 
 
 

 
15年ぶりくらいか。 すっかり変わっていた。 
以前の函館駅は小さな木造の掘っ立て小屋の様だった。


この時まだ朝の10時前。 この函館駅前には函館朝市がある。 観光客向け専業の店ばかりなのであまり気が進まないのだけどアトラクション的なものはむしろ観光客向けな場所にしか無い。
 
 
 

 
 

 
アトラクションに実が付いてくるものといえば活イカ釣り。
肝をスリコギで潰した肝醤油で、自分で釣ったばかりのイカを食する。 
 
 
 











メインのお食事は、場所を移し函館市民の市場、こだて自由市場にて
サロマ湖のバフンウニ、函館の蝦夷アワビ、そして南蛮エビを市場で買って、市場の喫茶店からはご飯と味噌汁セットを調達。  フェリーを朝便にした意味がここにあった。
 

 

 
 

 
 

 
 

   
  


お食事の後は、北海道で本州に一番近い汐首岬、そして大沼にサイクリング。
夕暮れ前、函館に帰ってくれば、函館山には笠雲。
こういう時山の上の風がきつい。 夜、雲が吹き飛んでくれると思いましたが函館の夜景は無理でした・・・


 
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20140924

Come autumn

 


風呂あがり。
涼しくなった夜風にあたりにベランダに出たら軒裏に何か居る。
  

  

 
午後11時半。 ライトを当てても微動だにしない。 
孵化する場所さえ見当もつかないビル街ではトンボが寝る場所も想定外です。
 


季節感がない場所にも秋は確実に運ばれてきます。


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20140920

JUICE in Faber Castell Classic Anello



『ファーバーカステルのアネッロに無改造でパイロットジュースのレフィルが使えるでー』って読者に教えてもらいました。 やってみたら、って疑ってた訳じゃないですけどほんとうに誂えたようにスムースイン。 

   
おまけに見ての通り、明らかにインクの容量が多い。 容量は直径の2乗で聞いてきますから、パッと見た感じ2倍位は入ってる感じがします。 量に反応するのは、結構ボールペンを使うことが多ございまして、インク多めに見えるジェットストリームのレフィルでも4ヶ月ほどでなくなってしまい、その都度改造に勤しんでいたからです。 

  
ジェットストリームは油性。 ジュースはゲルインク。 基本的には油性(にしてあの書き心地)がいいのですけど、発色感とか単なる毛嫌いだったゲルもこれはこれでいいような気がしてきました。 
これなら、改造は無用だし、容量は多いし、たった108円だし。 
 
 
   

 
それより、このPilotJuice なるレフィル、驚くほどFaber Castell のローラーボールのレフィルとサイズがビッタリ。 長さや、ペン先の形状、太さなど肝心なところだけを選択するようにまるっきり同じ。 これは間違いなく確信犯やな・・・・




Related to:
http://feticizm.blogspot.jp/2011/07/in-graf-von-faber-castell-classic.html
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20140916

仏 ヶ 浦


 
大間崎から、下北半島東海岸を南下した。
それまで下北を走ってきたイメージとはまるで違う。 一言で言うと風光明媚
海と山、美しい海岸線の道はそれまでより海に近く澄んだ海がみえる、そこからグイグイと登る山岳パートに入れば、山並みと海が見渡せる。 

 
 




   
  

 


 



下北は東海岸線から北側の海岸線はほぼ平地だった。 その目から見ると高さが加わった下北半島西海岸の立体感のある地形はいい。 風景に奥行きが出る。 当り前だけど当然登りも沢山あった。 山に登れば当然見海を見晴らすことも出来る。 この日は途中から雲海になってしまったけど 
 
 
 




 
 

 


 
  


大間崎から南下するR338号も佐井村を過ぎると殆ど車の通りもなくなった。 山の中腹を走るその国道沿いに ”仏ヶ浦” の看板。 駐車場から雲の中、階段を降りて行く。 低く垂れこめた雲海の下に出れば、断崖、奇岩が連なる海食崖地形。 人と奇岩群との大きさの違いに小人が群がっているようにすら見えた。
 

 
車の少なさから秘境気分で仏ヶ浦に降りればその気分を吹き飛ばすように団体らしき観光客が数多。  海を見ればちょっとした桟橋が造られ続々と観光船が来ていた。 陸路よりほとんどの人は船で来ているのだった。 でも、秘境と言うのはあながち見当外れではない。 国道からだと100mに近い断崖で陸上から近付くのが困難な土地。 長らく地元民のみに知られる奇勝であったそう。





透明度が高い海にも驚く。
ウニで有名な北海道の積丹、余市辺りの磯ですら、すぐ手がとどくような場所にこれだけ沢山のウニが転がっていることは今は無い。  下北半島のウニは尻屋崎、大間崎と食べてきたらば流れ的に ”仏ヶ浦のウニ” とならざるを得ない。 




    
 


仏ヶ浦ドライブイン。 その前には同じ青い屋根の ”ぬいどう食堂” という店があって、その客の入りは驚くほどの差がある。 ぬいどうの方はほぼ満席。 それに対してドライブインの方は客なし。
 
 
なんだかドライブインに惹かれドライブインにイン。 
日野正平は自転車でこんな辺鄙なところまで2回も来ていたのか・・・・  道理で特に地方を走っていると、 「あの火野正平が自転車で走る番組見てるよ。」 という話によくなる。 と言うか、あの番組はBS で存続してたのですね。 
 
 
 

 
大正解であった。
父ちゃんは漁師とのことだった。 しかもウニはおばちゃんがこの店で剥いている。 ウニの刺の欠片が入ってたけど・・・   小鉢のボラの唐揚げ、イカの刺身も旨い。
 
 
 
前の店に比べ極端に客が少ないのは ”ドライブイン” という名前のせいかな。

 

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20140912

大 間 崎



下北半島先端を、尻屋崎から大間崎に向かって西方に移動する。
まさに、こんな道のイメージ。 
 
 
道沿いにある街は小さくて静か。 そして小さな街と街を結ぶ道は何もない。 
 




そんな人もいない場所、木々が途切れたと思えば厳戒っぽい高い塀。 六ケ所村だけかと思えば東通村にもあった。 誰もいない場所だからだから核廃棄物貯蔵施設も作りやすいのだろう。 
 
 
ただ、セキュリティ上の問題か知らないけど、地図上には名称はおろか施設らしいものが何も示されていないのは第二次大戦中、毒ガス製造拠点だった地図から消された島 大久野島を思い出してむしろ怖い。
 
  
  

 
 

 


 
本州の最果て。 人に会わない。
何故だろう、点々とある小さな街に入れば、木々に囲まれた道を走る以上に時間の流れが遅く感じがした。
 
 
 


大間に向かう途中の温泉街下風呂温泉。
雲ひとつ無く晴れていた空は、急に白い霧に覆われていく。
海からの湿気を含んだ冷風、”ヤマセ” は目に見える空気。
 
 
 

  
 

  
  


R279を走り続ける間 ”大間” の表記はあったけど、初めての”本州最北端” の表記。
 
 
岬に近づくに従って、他府県ナンバーが増えてきた。 見た中で遠い場所は熊本ナンバー、そして意外に多いのが大阪、和泉、京都、滋賀 等関西圏ナンバー、・・・ 突端には旅人が集まる。
わりと来づらい場所、本州最北端に至る。
  
  
 

  
  

 
下北半島の東西端。 尻屋崎もそうだったけれど、大間崎も”ヤマセ” で霧に覆われることが多いそうで海も空も真っ白だった。  



そして、大間といえば・・・。
地元のスーパーで地の食料品の偵察するのが好きです。 東京とどれほど違うものか?
ググって楽天辺りで出てくる大間まぐろはすっごく高い。 大トロなんぞは4000円/100g とか。
こちら、残念ながら同じ下北の尻屋崎産でしたが大トロで980円/100g。 大間ブランドになるとどれほどのプレミアムが乗るのか知らないけど、都内で買う国産生マグロ大トロの半額以下でしょう。 トロバーを豪快に醤油なんぞ付けてポッキーみたいに食べたいが、そうはいきません。




 
その夜。 本州最北端の宿、海峡荘にて。
旨い、安い、清潔、この宿はアタリ。
 
  

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20140908

恐  山


  
むつ市街から恐山に向かって山を登る。
青看板には『恐』 と 『山』 の間にカラスがとまっているし、残りの距離は不吉な数字 9km だし・・・


 




 
  

 
恐山は山の上にあってヒルクライムのアプローチ中には無数の地蔵、そして宇曽利湖が現れたところ、三途の川をわたって恐山に入る。いちいちオドロオドロしい。


ここ恐山は宇曽利山という元名があって、アイヌ語のウショロ(入江とか、湾)に由来している。
これがオソレ『恐』になったそうだけれど、何故のその『恐』 という字を充てるのか。
 
 



 





そこらじゅうから火山性のガスが吹き出ていて、何処を掘っても温泉が出てくるらしく無料の温泉がある。 私はヒルクライムでかいた汗を流した。 とは言え、洗い場があるわけではなく硫黄成分を体につけジャージを羽織る。 オナラ臭いまま霊場内を歩く事は霊に失礼にならんだろうか
 
 
 


 




 





  



火山性ガスの噴出、一面に白茶けた荒涼とした風景。 
小石を積んだ山や卒塔婆は、死者への深い鎮魂の気持ち。
お花の代わりに供える風車がカラカラと回る音。
石に語りかけている人までいる。

 
木には手ぬぐいが結ばれていて、とにかく薄気味悪い。
聞けば、供えてある靴やおもちゃと同じく死んでいった物があの世で困らないように供えられたものだそう。
飛んでいかぬように木に結ばれているとのことだった。

 






無心で見れば、おどろおどろしさ、薄気味悪さ満点だったけれど、 『恐山』 をググったら、薄気味悪く思う気持ちは遠のいた。 それは、恐山霊場は戦後造られ、そもそも、こういう ”心霊キャラ売り” されるようになったのは昭和50年代頃 『あなたの知らない世界』 に代表される心霊ブームで脚光を浴びてから。 観光スポットとして人気を博したけれどそれ以前は硫黄鉱山の廃墟であったそう。 イタコの口寄せで有名だけどこの霊場とは何の関係もない人たちが有料で(営業)しているらしい。 おまけに、高野山、比叡山と並んで 『日本三大霊山』と宣伝されるが、あくまでも恐山霊場のみが自称しているにすぎない ・・・・ 。
 
 
ここはパワースポットしても有名らしいが、住職曰く、恐山はパワーも何もないパワーレス・スポット、いわゆる巨大な空洞だからこそ、死者への感情を入れることができる。 恐山には供養の仕方や教義の決まりは一切ない。 供養に来た人が自分の感情に任せて、自分の信仰を作っていくだけだそう。 道理で、木に手ぬぐいも結び放題、イタコも自由というわけだ。 ・・・・ なら分かる。
 
 
要は、昭和期の心霊ブームとともに ”オドロオドロしいキャラ” によって観光客が増えてきた霊場ということか ・・・ そう思うと、『宇曽利』 に 『恐』 の字を充てた時点でキャラ作りが始まっていたのかもしれない。 ただ、入場料500円で風呂まで入れるし、端から商売優先であったわけでは無いかもしれない。 偶然ブームになったのかもしれないけれど、日本ではこういったキャラ作りにより観光地化の結構初期の例では? ・・・ そんなことを考えながら山を降りた。



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