20160425

D U S T



写真見返してみたら、あるところからミジンコが画像の上に這ってます。
前回は無償修理でしたけど、とっくの昔に保証期間過ぎ。 
幸いなことにゴミの影はズームで大きくなったり小さくなったりしませんでしたからレンズ内のゴミではなく、センサー上のゴミとわかりました。  
   
   
 
  
  
  








 
センサーのホコリ見っけ。 
それより電脳製品内部を見るにつけ、こういう緻密な設計する人って凄いなーって。 こんなんに比べると建築なんてガサツ。 繊細さも、スペース有効利用のアイディアもまるで及ばない。 


ドライバーは100円ショップのやつ、ピンセットは毛抜という布陣で分解しまして、ガサツな感じでフッーと息で糸くずを吹き飛ばしましたら、細かい唾の飛沫がセンサーにつきました。 (ウ) 



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20160416

伊 江 島



フェリー船上より望む。 
本部の海岸沿いを走るといつも気になっていた島影。 
沖縄本島から北西に9km、フェリーで30分、中央の突起している山が特徴的な伊江島である。 
71年前の今日、1945416日 はこの島にアメリカ軍が上陸した。

 
 

 
 


アメリカ軍が上陸し、わずか6日間で日本兵2000人、住民1500人ほどが犠牲になった。 残っていた島の住民4000名の4 割が無くなったことになる。  住民の中にはアメリカ軍から敗走して来た日本兵に斬殺されたものも少なからずいる。


沖縄本島地上戦においてあったことのすべてがここにあった。
”沖縄本島の縮図” と言われる所以である。
  
  



 








”タッチュー”の愛称で呼ばれる伊江島のシンボル城山
”タッチュー”とは沖縄の言葉で、先端がとがってるものという意味。
標高172m、その先っぽに登れば文字通り360度の視界が広がった。
 
  
  

 
アシャハガマと呼ばれるガマ(洞窟)に入った。怖いというのか、胸を押されるような気持ちだった。
アメリカ軍が侵攻してきた時に多くの民間人、軍人が逃げ込んだ場所である。 土の地面には今だに当時の茶碗の欠片などがそこかしこに落ちていた。 この中には約150人の民間人が避難していたのだ。 そこへ米軍に追われた日本軍が逃げ込んできた。 迫るアメリカ軍に対して戦陣訓に従い日本兵の持つ爆雷で家族ぐるみの自爆を余儀なくされ、一瞬にして100人以上の命が失われた。
 
 


 
 

 
 


湧出”ワジ”と呼ばれる景勝地
この崖の下からは清廉な水が湧き出る。
昔は島人の大切な水場。
いまこの水は伊江島名物のイエソーダに使われる

 
 

 
 


戦後、焼け野原で捨て置かれていた伊江島にある日突然アメリカがやってきて、農業を営んでいた人たちを追い出し島の半分を基地にしてしまった。 朝鮮戦争勃発の時である。 いくらかは返還されたが今でも1/3はアメリカ軍基地が占めている。
 

戦時、日本軍がわずか周囲23kmほどの島に3本の滑走路を作った。 今でもその滑走路はあり、1本は伊江島飛行場の民間滑走路、後の2本はアメリカ軍用滑走路であるが、この補助滑走路は一般人も立ち入ることが可能な滑走路だった。 




 
 

 
 


島の南西の海岸線にはたくさんの洞窟がある。
海上からは大きな岩で死角になっているため戦時中は村民の防空壕になったニィヤティヤガマ。 多くの命を守ったことから”千人ガマ”とも言われます。 ここは村で暮らす人の聖域でもあり拝所でもある。

  
沖縄戦が始まった当時はサイパン島やレイテ島から続々とこの海に1300隻ものアメリカ艦船が集結し、海を覆い尽くすほどだったとされる。 軍艦からの艦砲射撃に2000機もの航空機に依る空襲が行われ地形が変わるほどの激しい爆撃が行われた。
   

この洞窟の中からは海を望むハート型の穴。
艦船が集結していたのは正にこの穴が穿たれた南の方向。 
当時どの様に見えていたのだろう。 
 
 
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20160412

軍用地求む



沖縄で衝撃的だったこと。


”求む軍用地” ・・・ 沖縄本島では気付くことはなかったけれど、本部半島の外れ、伊江島にはこの張り紙がやたらと貼ってある。 ”軍用地ってアメリカ軍の? それって買えんの? 秘密厳守?” 全くその意味がわからなかった。 
  

アメリカ軍基地の土地は日本に存在していているのに、その所有権はどうなっているのか? 軍用地は実はほぼすべてが民有地でそれを日本が借り上げアメリカが使っているという事実をはじめて知った。 要はアメリカ軍基地は日本国が税金として集めた金を国が地主に払い日本及びアメリカが管理している土地だということ。 その借地代はバブル崩壊後を含めすべての年代で上がり続けている。 そして、その管理費さえかからない収益信用度が高い軍用地は間違いのない値上がり資産として売買され商売の種になっていると知った。 


沖縄県だけで毎年900億円の税金が地代として地主に払われている。 すなわち、基地がなくなると地代がもらえなくなって困る地主、資本家がたくさんいる。 そう考えると基地反対の声を左翼の扇動とする報道も胡散臭くも思えてくる。 安全保障上必要としか本州には聞こえてこないがそれ以外に税金に巣食う輩どもの歪んだ構図がこの看板から見えてくる。 もっとも、普天間基地など大規模基地が無くなったあとは国がその広大な土地を再開発と称して高額で買い取ってくれる手土産がつくそうだが・・・ 


ググれば幾らでも出てくることだけれど、本州でこのようなことを知る人がどれほど居るのだろう。


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20160408

モ ト ブ



朝も早くから本部半島を走り始めた。
沖縄でも今年は数十年ぶりに雪が降った。 早朝は寒いのだ。 
でもこの太陽パワー、一気に遠赤外線効果によって暖かくなる。


 
   

 
   

古宇利島と我地島を結ぶ古宇利大橋。
沖縄のサイクリングイベントでは必ずと言っていいほどコースに設定される橋。


長さ1960mのこの橋は2005年に竣工してその一年間だけ無料で渡れる橋としては日本一の長さだったけど、その後2006年には2100mの北九州空港連絡橋に抜かれる。  そして、去年同じ沖縄県内の宮古島と伊良部大橋を結ぶ3540mの伊良部大橋が大幅に長さを更新して一位になった。 よって今では3位の長さである。  そういえば2005年この古宇利大橋が出来るまでの一位は山口県の角島大橋(1780m)であったから、長い無料橋は山口、九州、沖縄など日本の西の方に偏っている。



  
 
 
  


  
 
海底のサンゴ礁由来の白い砂に太陽光が挿し込めば海の色はこの通り。
沖縄の郷土料理でスクガラス豆腐というのがある。豆腐の上に子魚の塩漬けが載っているのだけど、そのスクの群れでしょうか。




 
 

 


  
 
沖縄の青い海は上から射す強い光によって創りだされるものだと実感した。 残念ながら早朝の横からの光では沖縄らしい海の色にはならない。 
 


  

本部町備瀬エリアのフクギ並木
沖縄の原風景を伝えると言われるエリア。 フクギは育ちが遅く樹齢が200年を超えるものもある。 すなわち琉球王朝時代から伝わる景色。  台風が多いこの地ならではの防風林の役目、そして家の垣根として固くて密な幹に水分を多く含む肉厚の葉が火災を防ぐという機能も備わっている。
 
 
ロードでは走りにくい場所だけど、チタンとフクギ並木もいい 
  
  
 

 
 
  
 
 


本部のグスクといえば今帰仁城である
海からはかなり山に入ったところにあるが、地盤が今より低かった王朝期にはこの城の横にある谷筋の川から海へはすぐ出れる場所だったとか。


返すがえす沖縄のグスクはカッコイイ
海から聳える山にこの曲線を持った城壁が見えた当時はどんな感じだったのだろう?
 
 
 
   

 
  
 
山を超えて本部市街地に降りてきた。
本部の市場に行くとプーンとカツオの香りがする。 この地ではカツオが年中捕れるのだ。 そして今も鰹節の生産が盛んだという。


その地の人気ソーキそば店 ”きしもと食堂”。 
メニューはそばのみ。 街に入った時からカツオの香り、店に入ってカツオの香り、当然スープもカツオ香がガツンときた。 那覇あたりとは結構違う。 一瞬そのカツオ香にうどんの気になるが、口に入れればやはりいくら食っても馴染めない沖縄風中華麺。 

沖縄そばは好きじゃないけどかならず食べる。 
沖縄に来たことを確認するのである。 
 
 
 

 
ハシゴ
めっぽうネット評価が高い”島豚家”
ソーキそばと言っても結構パサパサした肉が載っていることが多いのです。 
こちらは炙りアグー豚。 こうなるとソーキじゃなくていい。 実にジューシーでおいしい。 
そして、スープはこちらもカツオの香り、麺はかん水が少なそうでうどん寄り。 
かと言ってうどんに炙り豚を載せた感じでもない。 おそらくこちらのほうが馴染みやすい人は多いに違いない。  あの粉っぽい沖縄そばである必要は無い。 美味しい本部。



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20160404

SEASIDE


 
沖縄は南北に長くその長さは直線で100km以上に及ぶけれど東西方向には細く、一番くびれたうるまから恩納村はわずか4km程しかない。 そのほっそいところを西海岸に横断した。

そう、ここは西海岸のシーサイドである。

 



   





西海岸の道R58を走っていると必ずそのオーラに引き寄せられるシーサイドドライブイン
さすがNHK様、目の付け所がシャープです。 ”ドキュメント72時間” で取材しましたシーサイドドライブイン。 私もあの番組で皆が飲んでたスープなるメニューを試したくてピットイン。 スープだけってわけにもいかずビフカツサンドも頼みましたが。 


これは、あれだ。 ジャッキーステーキハウスで味わったあのスープと同郷と申しますか、懐かしい。  でもこれはあれほど不味くはない。旨くもないが・・・  いやいや結論はあの時と同じだ。
私の評価などどうでもいい。 ”これを食って育ってきた人にはこの懐かしい味が正”  
 
 



 

 
万座のぞうさんを超えるとひたすら名護を目指す。
名護までいけば、本部半島を西方に進路を変える。
  

  

 
 

 
真っ青な海のある道沿いをひたすら走るだけであった。
贅沢なもので、真っ青な海も変化がなければ普通の景色に変わる。


そんなところに島と橋が見えてきた。 
 
  
 

 
 


本部の少し手前、瀬底島とそこに渡る瀬底大橋。
島にも渡った。 何もなかった。 
いや、道を普通に馬が歩いていた、山羊がいた、木があった、海も空もあった。
 

島を出て振り返るとダイヤモンド瀬底大橋。




 
 


本部に辿り着いた辺りでサンセットを迎えた。
そんなところに海とは反対の山の方向にアイスクリームの店と看板があった。
凄い激坂を登ったガタガタ道の途中に風変わりな建物。
窓からはこの景色
 
 
 




 
  


海に沈む太陽なんていつぶりだろう?
2年や3年どころではない、もしかしたら10年くらい。
最後に見たのはとてつもなく昔だとおもう。


店の人曰く、沖縄って青い空に青い海のイメージで本州の人は来るけれど、日本でも晴れの日の日数は後ろから数えたほうが早い位の悪い成績だそう。 更にこうやって海に綺麗に太陽が沈む日は沖縄でも一年に10日も無いのではないか?とのこと
 
  
 

 
 

 
夜ご飯は本部である。 
この地には”もとぶ牛”なる牛がいるらしい。 産まれも育ちも沖縄。
見目麗しい見た目、素晴らしい。 


私は期待とともに肉を口に放り込んだ。
だが、新鮮すぎるのか熟成してないのか何なのか? 肉に全く味がない。 見た目だけの肉。
これは懐かしの味じゃないはずだから許さねーゾっと。



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