20160430

姫 路 らへん 

  

駅前から伸びる軸線の先に姫路城があった。 
白鷺城の名の通り白く優美な姿である。



太平洋戦争後、復員兵達が姫路駅を降り立ち真正面に見える真っ白な姫路城を見て皆涙したと言う。 外地から神戸港や大阪港に降り立ち、焦土になった母国を見ていたからだろうか。 姫路市は終戦前の2ヶ月の間に2度の空襲も経験している。 なのに姫路城は破壊されること無く今までその姿を残すことができた。 それは、空襲時に目標にならぬよう城全体に黒い網を掛けたからだとバスガイドが説明していた。




 
大きくて立派。そして美しい。
これが木造だというのだから驚く。 
  
 

   


 


阪神淡路大震災の際にも壊れなかった姫路城。
その理由の一つが、瓦一つ一つに塗り込められた漆喰である。
古くなって黒ずんでいるけれど、真っ白に漆喰を塗り直し屋根まで白く見えるその姿が白鷺城の由来。 

 
 
  
 
  

 
古い日本建築を見ると、城には鯱、そこまで大それた建物でない場合は、大棟に波の意匠。
やはり木造建築は火が天敵で水に纏わる意匠がある。  





 
日本の城を見ていつも残念になる。
海外の城とは全く違う見せ方。 家具も畳も床の間も掛け軸も何もない。
これでは殿様がどのように生活していたのかまるで見えてこない。


説明にあるのは大きな柱を何処からどのように持ってきたかなど。 なにか抜けている。  
  


 

 
少し不完全燃焼気味の姫路城の近く、何かあるかと調べましたらありました。
書写山と言う山の頂あたりに築かれた圓教寺の寺院群。 
1000年以上の歴史ある寺で、 ラストサムライや軍師官兵衛のロケ地。  
 
 
 
  

山の途中まではロープウエイ。 
そこから木に囲まれた土道をのぼっていった。


途中右側に視界が開ける場所がある。 
手前の山に邪魔されて見にくいけれど山の肩から姫路城が見えていた。




  

  
  
 
大講堂、食堂(ジキドウ)、常行堂がコの字型に並び、3つのお堂が向き合っている。
窓から大講堂を見るこの食堂で、勝元(渡辺謙)と氏尾(真田広之)がオールグレン(トム・クルーズ)を生かすか斬るか話すシーンが撮影された。
 
 
 
  



  

最近はメジャーどころは外人だらけ。
しかし、ここまで来ると流石に居ない。 静かな参道を戻った。
 
 
 
  



 
姫路を3時に出て東方に走りだした。 ずっとつまらない道。
何も考えず黙々と漕いだ。 


2時間後、海の香りがしてきた頃、明石港に入り右に目をやると明石海峡大橋の主塔が見えてきた。 世界最長の吊橋である。 この橋をレインボーブリッジを見るような目で見てはいけない。
なんとその主塔は横浜ランドマークタワーより高く、近くに寄れば寄るほどそのデカさに慄くばかり。主塔高さは298m。 今でも日本で4番目に高い構造物となっているのである。 


 
と、世界最大に拘って最後、
姫路城は当然世界最大の木造建築かと思いきや、世界一はスペインセビリアのメトロポールパラソルなる現代建築であった。  もっとも、写真を見てみると集成材を組み合わせたものであまり関心しない。 だって、接着剤と圧力で固めた木材で作りましたと言われても、それドーピング やんって。 やはり木は無垢材として戴きたい。 ただ、それでも1番は姫路城ではなく東大寺であった。 石垣分でかなり盛られて大きく見えているが、東大寺が日本一とのことで、東大寺も行かなくてはならなくなった。

   
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20160425

D U S T



写真見返してみたら、あるところからミジンコが画像の上に這ってます。
前回は無償修理でしたけど、とっくの昔に保証期間過ぎ。 
幸いなことにゴミの影はズームで大きくなったり小さくなったりしませんでしたからレンズ内のゴミではなく、センサー上のゴミとわかりました。  
   
   
 
  
  
  








 
センサーのホコリ見っけ。 
それより電脳製品内部を見るにつけ、こういう緻密な設計する人って凄いなーって。 こんなんに比べると建築なんてガサツ。 繊細さも、スペース有効利用のアイディアもまるで及ばない。 


ドライバーは100円ショップのやつ、ピンセットは毛抜という布陣で分解しまして、ガサツな感じでフッーと息で糸くずを吹き飛ばしましたら、細かい唾の飛沫がセンサーにつきました。 (ウ) 



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20160416

伊 江 島



フェリー船上より望む。 
本部の海岸沿いを走るといつも気になっていた島影。 
沖縄本島から北西に9km、フェリーで30分、中央の突起している山が特徴的な伊江島である。 
71年前の今日、1945416日 はこの島にアメリカ軍が上陸した。

 
 

 
 


アメリカ軍が上陸し、わずか6日間で日本兵2000人、住民1500人ほどが犠牲になった。 残っていた島の住民4000名の4 割が無くなったことになる。  住民の中にはアメリカ軍から敗走して来た日本兵に斬殺されたものも少なからずいる。


沖縄本島地上戦においてあったことのすべてがここにあった。
”沖縄本島の縮図” と言われる所以である。
  
  



 








”タッチュー”の愛称で呼ばれる伊江島のシンボル城山
”タッチュー”とは沖縄の言葉で、先端がとがってるものという意味。
標高172m、その先っぽに登れば文字通り360度の視界が広がった。
 
  
  

 
アシャハガマと呼ばれるガマ(洞窟)に入った。怖いというのか、胸を押されるような気持ちだった。
アメリカ軍が侵攻してきた時に多くの民間人、軍人が逃げ込んだ場所である。 土の地面には今だに当時の茶碗の欠片などがそこかしこに落ちていた。 この中には約150人の民間人が避難していたのだ。 そこへ米軍に追われた日本軍が逃げ込んできた。 迫るアメリカ軍に対して戦陣訓に従い日本兵の持つ爆雷で家族ぐるみの自爆を余儀なくされ、一瞬にして100人以上の命が失われた。
 
 


 
 

 
 


湧出”ワジ”と呼ばれる景勝地
この崖の下からは清廉な水が湧き出る。
昔は島人の大切な水場。
いまこの水は伊江島名物のイエソーダに使われる

 
 

 
 


戦後、焼け野原で捨て置かれていた伊江島にある日突然アメリカがやってきて、農業を営んでいた人たちを追い出し島の半分を基地にしてしまった。 朝鮮戦争勃発の時である。 いくらかは返還されたが今でも1/3はアメリカ軍基地が占めている。
 

戦時、日本軍がわずか周囲23kmほどの島に3本の滑走路を作った。 今でもその滑走路はあり、1本は伊江島飛行場の民間滑走路、後の2本はアメリカ軍用滑走路であるが、この補助滑走路は一般人も立ち入ることが可能な滑走路だった。 




 
 

 
 


島の南西の海岸線にはたくさんの洞窟がある。
海上からは大きな岩で死角になっているため戦時中は村民の防空壕になったニィヤティヤガマ。 多くの命を守ったことから”千人ガマ”とも言われます。 ここは村で暮らす人の聖域でもあり拝所でもある。

  
沖縄戦が始まった当時はサイパン島やレイテ島から続々とこの海に1300隻ものアメリカ艦船が集結し、海を覆い尽くすほどだったとされる。 軍艦からの艦砲射撃に2000機もの航空機に依る空襲が行われ地形が変わるほどの激しい爆撃が行われた。
   

この洞窟の中からは海を望むハート型の穴。
艦船が集結していたのは正にこの穴が穿たれた南の方向。 
当時どの様に見えていたのだろう。 
 
 
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20160412

軍用地求む



沖縄で衝撃的だったこと。


”求む軍用地” ・・・ 沖縄本島では気付くことはなかったけれど、本部半島の外れ、伊江島にはこの張り紙がやたらと貼ってある。 ”軍用地ってアメリカ軍の? それって買えんの? 秘密厳守?” 全くその意味がわからなかった。 
  

アメリカ軍基地の土地は日本に存在していているのに、その所有権はどうなっているのか? 軍用地は実はほぼすべてが民有地でそれを日本が借り上げアメリカが使っているという事実をはじめて知った。 要はアメリカ軍基地は日本国が税金として集めた金を国が地主に払い日本及びアメリカが管理している土地だということ。 その借地代はバブル崩壊後を含めすべての年代で上がり続けている。 そして、その管理費さえかからない収益信用度が高い軍用地は間違いのない値上がり資産として売買され商売の種になっていると知った。 


沖縄県だけで毎年900億円の税金が地代として地主に払われている。 すなわち、基地がなくなると地代がもらえなくなって困る地主、資本家がたくさんいる。 そう考えると基地反対の声を左翼の扇動とする報道も胡散臭くも思えてくる。 安全保障上必要としか本州には聞こえてこないがそれ以外に税金に巣食う輩どもの歪んだ構図がこの看板から見えてくる。 もっとも、普天間基地など大規模基地が無くなったあとは国がその広大な土地を再開発と称して高額で買い取ってくれる手土産がつくそうだが・・・ 


ググれば幾らでも出てくることだけれど、本州でこのようなことを知る人がどれほど居るのだろう。


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20160408

モ ト ブ



朝も早くから本部半島を走り始めた。
沖縄でも今年は数十年ぶりに雪が降った。 早朝は寒いのだ。 
でもこの太陽パワー、一気に遠赤外線効果によって暖かくなる。


 
   

 
   

古宇利島と我地島を結ぶ古宇利大橋。
沖縄のサイクリングイベントでは必ずと言っていいほどコースに設定される橋。


長さ1960mのこの橋は2005年に竣工してその一年間だけ無料で渡れる橋としては日本一の長さだったけど、その後2006年には2100mの北九州空港連絡橋に抜かれる。  そして、去年同じ沖縄県内の宮古島と伊良部大橋を結ぶ3540mの伊良部大橋が大幅に長さを更新して一位になった。 よって今では3位の長さである。  そういえば2005年この古宇利大橋が出来るまでの一位は山口県の角島大橋(1780m)であったから、長い無料橋は山口、九州、沖縄など日本の西の方に偏っている。



  
 
 
  


  
 
海底のサンゴ礁由来の白い砂に太陽光が挿し込めば海の色はこの通り。
沖縄の郷土料理でスクガラス豆腐というのがある。豆腐の上に子魚の塩漬けが載っているのだけど、そのスクの群れでしょうか。




 
 

 


  
 
沖縄の青い海は上から射す強い光によって創りだされるものだと実感した。 残念ながら早朝の横からの光では沖縄らしい海の色にはならない。 
 


  

本部町備瀬エリアのフクギ並木
沖縄の原風景を伝えると言われるエリア。 フクギは育ちが遅く樹齢が200年を超えるものもある。 すなわち琉球王朝時代から伝わる景色。  台風が多いこの地ならではの防風林の役目、そして家の垣根として固くて密な幹に水分を多く含む肉厚の葉が火災を防ぐという機能も備わっている。
 
 
ロードでは走りにくい場所だけど、チタンとフクギ並木もいい 
  
  
 

 
 
  
 
 


本部のグスクといえば今帰仁城である
海からはかなり山に入ったところにあるが、地盤が今より低かった王朝期にはこの城の横にある谷筋の川から海へはすぐ出れる場所だったとか。


返すがえす沖縄のグスクはカッコイイ
海から聳える山にこの曲線を持った城壁が見えた当時はどんな感じだったのだろう?
 
 
 
   

 
  
 
山を超えて本部市街地に降りてきた。
本部の市場に行くとプーンとカツオの香りがする。 この地ではカツオが年中捕れるのだ。 そして今も鰹節の生産が盛んだという。


その地の人気ソーキそば店 ”きしもと食堂”。 
メニューはそばのみ。 街に入った時からカツオの香り、店に入ってカツオの香り、当然スープもカツオ香がガツンときた。 那覇あたりとは結構違う。 一瞬そのカツオ香にうどんの気になるが、口に入れればやはりいくら食っても馴染めない沖縄風中華麺。 

沖縄そばは好きじゃないけどかならず食べる。 
沖縄に来たことを確認するのである。 
 
 
 

 
ハシゴ
めっぽうネット評価が高い”島豚家”
ソーキそばと言っても結構パサパサした肉が載っていることが多いのです。 
こちらは炙りアグー豚。 こうなるとソーキじゃなくていい。 実にジューシーでおいしい。 
そして、スープはこちらもカツオの香り、麺はかん水が少なそうでうどん寄り。 
かと言ってうどんに炙り豚を載せた感じでもない。 おそらくこちらのほうが馴染みやすい人は多いに違いない。  あの粉っぽい沖縄そばである必要は無い。 美味しい本部。



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