20160416

伊 江 島



フェリー船上より望む。 
本部の海岸沿いを走るといつも気になっていた島影。 
沖縄本島から北西に9km、フェリーで30分、中央の突起している山が特徴的な伊江島である。 
71年前の今日、1945416日 はこの島にアメリカ軍が上陸した。

 
 

 
 


アメリカ軍が上陸し、わずか6日間で日本兵2000人、住民1500人ほどが犠牲になった。 残っていた島の住民4000名の4 割が無くなったことになる。  住民の中にはアメリカ軍から敗走して来た日本兵に斬殺されたものも少なからずいる。


沖縄本島地上戦においてあったことのすべてがここにあった。
”沖縄本島の縮図” と言われる所以である。
  
  



 








”タッチュー”の愛称で呼ばれる伊江島のシンボル城山
”タッチュー”とは沖縄の言葉で、先端がとがってるものという意味。
標高172m、その先っぽに登れば文字通り360度の視界が広がった。
 
  
  

 
アシャハガマと呼ばれるガマ(洞窟)に入った。怖いというのか、胸を押されるような気持ちだった。
アメリカ軍が侵攻してきた時に多くの民間人、軍人が逃げ込んだ場所である。 土の地面には今だに当時の茶碗の欠片などがそこかしこに落ちていた。 この中には約150人の民間人が避難していたのだ。 そこへ米軍に追われた日本軍が逃げ込んできた。 迫るアメリカ軍に対して戦陣訓に従い日本兵の持つ爆雷で家族ぐるみの自爆を余儀なくされ、一瞬にして100人以上の命が失われた。
 
 


 
 

 
 


湧出”ワジ”と呼ばれる景勝地
この崖の下からは清廉な水が湧き出る。
昔は島人の大切な水場。
いまこの水は伊江島名物のイエソーダに使われる

 
 

 
 


戦後、焼け野原で捨て置かれていた伊江島にある日突然アメリカがやってきて、農業を営んでいた人たちを追い出し島の半分を基地にしてしまった。 朝鮮戦争勃発の時である。 いくらかは返還されたが今でも1/3はアメリカ軍基地が占めている。
 

戦時、日本軍がわずか周囲23kmほどの島に3本の滑走路を作った。 今でもその滑走路はあり、1本は伊江島飛行場の民間滑走路、後の2本はアメリカ軍用滑走路であるが、この補助滑走路は一般人も立ち入ることが可能な滑走路だった。 




 
 

 
 


島の南西の海岸線にはたくさんの洞窟がある。
海上からは大きな岩で死角になっているため戦時中は村民の防空壕になったニィヤティヤガマ。 多くの命を守ったことから”千人ガマ”とも言われます。 ここは村で暮らす人の聖域でもあり拝所でもある。

  
沖縄戦が始まった当時はサイパン島やレイテ島から続々とこの海に1300隻ものアメリカ艦船が集結し、海を覆い尽くすほどだったとされる。 軍艦からの艦砲射撃に2000機もの航空機に依る空襲が行われ地形が変わるほどの激しい爆撃が行われた。
   

この洞窟の中からは海を望むハート型の穴。
艦船が集結していたのは正にこの穴が穿たれた南の方向。 
当時どの様に見えていたのだろう。 
 
 
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