四万十川に気を良くして、居酒屋で地元の人と話をしていたら四万十は観光用に『最後の清流 』などと祭り上げられすぎで、高知市により近い仁淀川の方が綺麗だとおっしゃる。
確かにググってみれば、BODなどデータ的にも仰るとおりなのです。 こうして川を沈下橋から見ても川床の丸石もほのかに見えてまして、透明度も仁淀川のほうが綺麗なように感じます。 たどれば、市街地のすぐ手前までは人口過疎地ばかりを川筋が流れ、汚染の原因となる場所が無いのでそれももっともです。
その仁淀川上流に高知で一番古い沈下橋があると聞きました。
日本には一級河川及び支流には合計410 の沈下橋があって、都道府県別に見ると高知県がイヤらしい数字69 でトップ。 その後には大分県、、徳島県、宮崎県 ・・・と。 その地域を見れば、その理由は自ずと浮かび上がってきます。 台風の通り道、水害の多い地域。
沈下橋の一見して分かる特徴は、『欄干(手すり)がない』こと。 増水の時は,川に沈むことを前提で,そのことから潜水橋の名もある。 欄干など流れに抵抗するものは付けられていない。 橋床は橋脚には緊結されておらず、橋床に掛かる水圧で橋脚から引き剥がされたとしても橋脚にまで被害が及ばず、災害後、路盤を置けばすみやかに復旧できることを念頭に置いてた『柔』の設計がなされている。
というのが一般的な話だけれど、沈下橋は戦後作られたものが殆どなのに、この簡素な作りのままなのは立派で頑丈な橋を作るほどの経済合理性がないというのが現実のようです。 なので過疎地域でも木を切り出したり、農作物を搬出するためのトラックが通る必要がある場所には、それに対応できる橋がかけてある。
山の上の道から見た仁淀川にポツリと掛かるその橋は、いかにも素敵でした。
久喜沈下橋(1936年) 土佐で一番古い沈下橋。 それでも築後80年弱。 この時代のコンクリートは骨材が良かったのでしょうか? ヒビ一つ入らず立派に役目を果たしていて驚きます。
沈下橋に古いものがないことには理由があります。
歴史的にみても,流域は舟運が中心で橋というものは必要がなかった。 主産業であった木炭や木材のほか日常生活物資,そして人間も舟や筏で運んだことから,橋はむしろその通行の邪魔になる。 対岸にも舟で渡ればよくって、実際つい最近まで「川渡し」 が多く残っていた。 沈下橋が造られたのは,車社会の浸透や生活の中から木炭が消え,舟運が廃れるに伴って。
そういう意味ではこの比較的古い橋が出来てあり続けたのは、舟で渡すほどの川幅でもなく、舟運には適さない仁淀川の急流地帯だからということなのでしょう。 構造的にも鉄筋コンクリート造で橋脚、橋床が剛接合されている。 他の沈下橋とはいろいろ違います。
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