20140611

SURVIVORS


 
 


震災から3年以上経ち、ほとんど報道もされなくなったこの場所は未だ復興は遥か彼方の現実が有った。 海に近い平地は見事に建物は流れ、若干の高台でもあれば、そこは無傷の建物が残っていた。


 
宮古漁港沿いの冷凍倉庫などはすでに復旧稼働しているものも少なくないが、その後方民家があるべき部分は未だぺんぺん草が生えているようなところが殆ど。  しかし、海岸線からわずか50mほどの場所に黒壁をまとった寿司屋がスクっと建っている。  聞けば、RC造でも鉄骨でもなく純木造だというではないか ・・・   新築ではなくモロに津波を被った場所にもこのような木造SURVIVORが居ることに驚きを隠せなかった。

  


  
その建物は魚正という寿司屋であった。 
残念ながら街を見る限り復興はまだまだである。 しかしその現実を見た途端、こんなSURVIVORがいて、こうやって営業されているところもあると感動し、その幸運に肖りたいと寿司を口いっぱいに頬張った。 

  
 

 
 

  
 
 
 
浄土ヶ浜では、イタリアはカプリ島よろしく青の洞窟が有る。
そこでは、細かな磯にも入れる小さなザッパ船に乗っての遊覧が出来るのである。 
そして、写真に映る”第六飛魚” 号 ・・・ 先の震災で流された数多くの船の中唯一生き残ったSURVIVORである。  残念ながら、遊覧を終えてからその事実を知らされて「それ乗りたかった!」 と地団駄を踏んだ。

 
 

   
 


宮古の南、未だ不通のJR山田線の津軽石という駅の傍。 線路の先に見えるガソリンスタンド。 ここの裏が盛合博美氏の作るフルオーダーフレームEMME AKKAの工房である。 近所の方に取り付いで頂き、レース遠征中で電話越しの話しか出来なかったのだけれど・・・ 
  
  
最近は、チタンやステンレスフレームの制作も復活したようで、この逆境に強い姿はまさしくSURVIVOR である。
  
 
 
  
 
 
  
 
 


津波のために1 階部分が全滅、木造の母屋と米処理工場、詰場が完全に流され、RC造の建屋も壁は抜け貯蔵タンクと瓶詰め商品すべて流された。  この宮古の菱屋酒造店もまた、大いなるSURVIVORである。
  
  
いまどき日本中の酒が東京で手に入るわけだけれど、この地で生原酒を買って東京に送るという面倒なことをするのもよかろう。
  
 
 

 
  


最近の日本酒はスクリューキャップが圧倒的に多い。
残念ながら菱屋酒造の酒も御多分にもれずスクリューキャップでバーエンドには使えなかった。



であれば ・・・・ バーエンドにも使える同じ被災地SURVIVORの酒。  
宮城県は新沢醸造店の純米酒 ”伯楽星 ” がそれである。 (ドヤ顔)



 
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