20141031

Aesthetic image



また3 時間以上いた。 ここに来ると毎回のこと
初めての自転車に嵌った時がクロモリだったからか実はこのイメージを引きずっている。 



90年代始めまではロードといえばほぼクロモリだった。  ツールで活躍するバイクを見ても、細いパイプに銀色のパーツ、薄いリム・・・ どれも同じで様式美とよんでもいい。 とはいっても、自分が持ってる80年台のクロモリとはまるでオーラが違うから、様式と言ってもどれも同じというわけでもないのかも。


ここまで綺麗なのは、レストアしてあるからだけど、店主曰く、『デカールの部分をマスキングしてそこだけ残して塗装を剥がし「a」の中に残ってるマスキングしきれないオリジナルの塗装色に合わせて塗ってるねん。 この作業がやってみるまで上手く行くかわからんし滅茶苦茶大変やねん。』  私なんぞは全部剥離して、デカールをイラストレーターあたりで再生して塗りなおしてレストアしてると思ったらさにあらず。 『印刷機で出した文字は綺麗すぎてオリジナルのデカールとは違うからそれが許されへんねん』 と。 それなんとなくわかります。 ヴィンテージの時計の文字盤再生でも、寸分違わず印刷してる筈だけど雰囲気としか表現しようのない差にガッカリすることがある。 ヴィンテージバイクは経験値が高くなく今はよく分からんのだけど、分かる気はします。 等とやってるとどんどん時間が経つ。

  


 
 


飛行機に乗せて運んだり、輪行したり、傷や汚れが侘び寂びよろしくなエイジング的外観の変化までおこし、気兼ねなく道具として時間を共にするのは無塗装チタンが最適と思ってるのだけど、こういう自転車と並べたらやっぱりアグリーでちょっと恥ずかし。 やっぱりクロモリバイクは純粋に綺麗だもの。  感性豊かな若い頃に聞いた曲を今聞くと染みわたるようにま入ってくるような、そんな感情もあるのだろうけど
 
  



ロストワックスラグを初めて使ったマラストーニ marastoni 。 この店が出来てから何度か目にしたけど初めての自分のサイズが目の前にある。 しかも2台。  トップチューブの長さが同じでシートの長さが1.5cm違うけど両方自分が乗れるサイズ。

  

綺麗なバイクだからこそ、サイズの違いによる完成車になった時のバランスが余計気になります。フレームとハンドル、サドルの大きさのバランス、ヘッドチューブ長と前後三角のバランス、シートチューブ長とポストの出のバランス、ポストが出てもステムは出過ぎちゃみっともないわけで等々。 紫の車体に白ロゴならバーテープもし白だな、だとか、ライムブルーグリーンのフレームだったら木リムだとか想像が膨らみます。


乗らない車、乗らないバイク、はめない時計とか ・・・ 使いもしないのに欲しいとか集めるとか超危険な領域です。 



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20141027

唯一の村


  
赤坂村にある百選にも選ばれている棚田
刈入れは終わったとネット情報で知ったけど、きっと金の稲穂も残っていると思ってたらやっぱり。
むしろ、こうして並び合っている方が素敵に見える
ああ、そういえばコスモスもこの時期だった。

 じゃあ、あそこに自転車を置いてピントをと ・・・ 見られたくない。そういうとこ
 

  

   


  
穂掛けってのは、茎に残っている養分まで実(米)にまで行き渡らせるためにやるって婆ちゃんが言ってた。  美しい日本の景
 
 


 
そうそう、左の塔がそびえる番長の高校は野球部の危機だとか、
そのずっと右の奥の方にかすかに見えるノッポのビルは高さ日本一。
両方を稲穂越しに見る悦楽。 

あちらにいる人はそんなこと微塵も考えてもいないだろうけど。
  
 






あの棚田から街まで川を繋いで自転車道に沿って行ける。 
川には吊り橋としては日本初の登録有形文化財になったレトロな橋。
そして橋のたもとにはレトロな喫茶館




 
レトロな白髪店主が作るビーフカレーは苦みばしったオトナの味

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20141023

紀州高原スカイライン



関西人にとっても南方向、すなわち和歌山方向というのはマイナーな場所。 
北の神戸が持つ華やかさ、北西、西方向の京や奈良の古都といった大きなブランドたるものが無いからということもあるけど、思うに関西圏でも特に恐れられている ”和泉ナンバー” や”清原”を産んだ”和泉地帯”を越えなければならないことが余計に関西人の足を遠ざけているのではないか 

  
 
大阪程度の距離でも飛行機を使うのだけど、関空に降りる意味を見出しました。 
関空からは大阪と和歌山を隔てる和泉山脈はすぐそこ。 わりと大きな山脈で標高1000m近い尾根筋。 そこに走る ”紀州高原スカイライン” なる道を走りました

 
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

一旦和歌山に入って和歌山側から一気に高度を上げた。
スカイラインは車の通りはほとんど無くいい道。
下は紀の川が作った沖積平野、その向こうは和歌山の山々 
  
  
 
  
  
  

  
 


田舎道を走っているとこんな装束の人達が先に見えた
葛城山は明治の神仏分離・修験道廃止令により衰退した修験道の聖地だったそう


   



   
   
   

 
山を降りて大阪の端っこ。 この辺りは大阪の自転車乗りの練習場所なのかロード乗りが沢山走っていた。 そんな道すがら、大きな古い屋敷で営業されていた”Patissiere Masuko” 
アーモンドクリームも好きだし、柔らか目のカスタードも好きです。苺が転けちゃうけどね。

 

久しぶりの関西、同じ田舎道を走るだけでも何かと歴史の重層感を感じます。 



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20141019

Lazar Genesis Rollsys System


  
電車の中でふと一息ついたその目の前のヘルメットに違和感がある。
カバーが取れてLazarの特許、サイズ調整機構Rollsys System が剥き出しになっているじゃないか。
 
  
秀逸なサイズ調整機構なのだけど、暫く使っているとこのサムホイールがグラついてきて指で回せなくなるアイツである。  
 
 
 

 
なるほど、こういう構造になっていたのか。 
サムホイールを回すとそこにはめられた黒い♀の輪が動きそれに結ばれたワイヤーを引っ張りサイズが調整される。 シンプルな構造ほど洗練されている。
 
  
不思議なんだけど、カバーが付いていた時はこのサムホイールが回せなくなっていたのだけど、カバーが無くなると、難なくこのホイールを回すことが出来るようになる。 サビは関係なくて、サムホイールを回す際に必然的にこのシステム本体を直接指で押さえることになってグラつかないからだろう。  
 
 
家に帰ってやることが決まった。
実は、以前使っていて調整が効かなくなったLazar Genesisが押入れに2つぶん投げてある。 
当然のごとく押入れから引っ張り出し、このカバーの撤去&再使用をするのである。



20141015

東京の糞田舎



久しぶりの東京近辺でのサイクリング。  
でも、旅情的な要素も欠かせない。 そんな時には手っ取り早く都内の糞田舎風情最右翼、小山田辺りがお誂え向きである。
 
 
 

  
  




 
まだあった・・・・


このバス停の待合所は昔の姿をそのまま残す日本でもかなり珍しい物ではないか? 中の看板は筆書きの古いものだし、電話以外に電話が普及する前の有線なる番号も書かれ、この待合所の裏に貼られた最新の改修の記録には「昭和38年」 とある。 すなわち51年前。 最新の改修がそれであるから、それより昔に建っていたことは間違いない。


雨露に晒され放題なのに51年間も改修もされず公共の用途に使われる待合所などあろうか? 見ての通りボロで台風などでいつ倒壊してもおかしくない様な代物。 なのに取り壊されることもなく、 こうやって現存しているのは、何か止事無き理由でもあるのか?と勘ぐりたくなるくらい。 

 
中に書かれてある屋号は、仕出屋の『魚儀』、萩生田産業と生まれ変わった『萩生田木材』など、今も元気に営業されているところもあるのだけれど、消滅してなくなっているものも沢山ある。 こうなると誰もこのことには触れたがらず、そのオーラは不良のガキどもをしても落書きすら許さないアンタッチャブルソーン感半端なし。 
 
 
 

 
 

 
嘗て小山田氏の関所があったとされる関屋の切り通し、そしてそれに続く田舎道。 ほんとうに都内に居ることを忘れる。  実際、この辺りの里山風情を初めて見た時の感動はいまだ忘れられない。  そして久びさにここを走って変わりなくこの情景があった事に胸をなでおろしました。
 
 
 
Related to:
http://feticizm.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html
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20141010

DIAMOND PRINCESS


 
横浜を通り掛かりましたら左手に大きな客船。
DIAMOND PRINCESSでした。 長崎の三菱造船所で建造中に火事を起こし話題になったやつです。 日本で作られた最大の客船でもある。 



ところで、日本に寄港する客船には55m縛りというのがある。
それは、横浜のゲートブリッジの橋桁の高さ55mを超える船は入港できないというもの。 この船も水面からの高さ54mとなっている。 もっとも、今年大さん橋に停泊した最大の客船New Queen Elizabethは高さ56.5mあったのだけれど干潮時を狙ってギリで入港した。



それ以上大きな船は長崎や神戸、沖縄のみであったり、東京や横浜に寄る際には橋の外側の貨物埠頭である大黒ふ頭や、自転車練習のメッカ大井ふ頭に着岸することになるのですが、都心部へのアクセスや大型船では乗客人数が3000人にも及ぶことで貨物用埠頭での入国手続きが遅れたり格好がつかない。 そもそも、東京ではなく横浜に着岸することが多いのも、レインボーブリッジは更に低い52mしかないからで、その時点で蚊帳の外になってしまいます。 この高さは、当時の最も有名な客船Queen Elizabeth Ⅱの高さに合わせたものなのだけれど、その後の客船の大型化で今の世界最大の客船Oasis of the seas の高さは65mにもなっています。



関東大震災後の大通りの設定をした都市計画者後藤新平、大阪御堂筋を計画した当時の市長、関一など後の世に先進性を評価される人たちが居たことを思うと、航空法で主塔の高さ制限があったとしても先見の明が無さ過ぎな気がします。



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