20150527

魚介と下北



完璧な丸ゴシック ”あおもり駅”
さて自転車をこぐ前には朝食を食べなあきません。 青森駅前には朝からやってるアウガという魚市場がある。
  
  
 
  

なんだろう、こういうところに来ると普段しないようなこと = 朝から寿司食ったりとかしてしまう。 食わな損という感情がメラメラ出てくるのです。 別に損してるわけじゃないけど。
一昨年も来た店、朝の6 時でも寿司が食える。 大間にはまだマグロが来てないらしいが、青森県太平洋側尻屋崎で水揚げしたものらしい。 大トロちゃんの横のホタテも青森は名産地である。
  
   
  
  
  
  

 
青森から20km程東に浅虫温泉という温泉地。 ここにも朝7時からやってる魚介屋がある。
20kmくらいじゃまだ腹も減ってはいないのに、また食わな損という感じがして食べた。 休日は朝10時位から並ばないと食べられないらしいから間違ってはなかったのです。 アワビ、イクラ、うに、ホタテの四色丼。  生の魚介を食べた後の高心拍でゲップが上がってきたときの感じがとてつもなく嫌な事知ってるのに何度でもやる悪癖。

  
  

  
  
  
 
日本一長い国道R4号線を舐めたらあきません。 
大部分が多車線のR4号にあって一車線箇所は少し車が多くなると早速糞詰まる。 あたりまえのことだけど青森県で大渋滞に違和感。 そのようなR4号と別れ下北半島方向へ。 
 


  

下北半島は去年に続き2度目である。
私は、一度行ってイマイチだと思ったところでも2 回は行くことにしている。 というのも、その場に行ったときの感想など天気であるとか、体調であるとかちょっとした事で変わるから。 去年の下北半島に対する感想は”ヤサグレ感” 日本の田舎に見られる里山の風情無し、そこに東北人の謙虚さが悪い方に働き原発行政に漬け込まれたのか? チンケな森と限界集落と原発 ・・・ そんなヤサグレ感を感じていた。 
 
 
今回は前回走らなかった下北半島陸奥湾側(内海側)を北上した
   
   
   
  
  
  
  
  
  
  

 
  
  
走る道は相変わらず情緒なし。 その何もないところに人工的に彩りを。  下北半島の何故か地名は ”横浜” という場所。 日本一の菜の花畑は確かに見事で見応えがある。  ただ、それ以上でも以下でもなかった。  やはり私にとっては菜の花程度では払拭しえぬヤサグレ感。 ちょっぴり下北を分かったような気になって踵を返した。  私にはまだ食べねばならぬものがあったからだ。
  
  
    
    
    
    
  
 
  
  
 
また松虫温泉に戻ってきて食べることになる。 ここは昼からしかやってない店なので閉店に間に合うように速攻で帰ってきた。
 

ニンマリした。 青森くんだりまで来たら、こんなふうに魚介が出てきたら嬉しいやんか・・・。
私はウニが好きだ。 アワビも好きだ。 ホタテも好き、そして貝の中でもつぶ貝が特に好き。 そう。好きなネタをとりあえず頼んだ。  貝の名前を言って注文するのだけど、それらの貝の新鮮なワタが当たり前のように皿に乗って出てくるから余計に満足度が高い。  青森から近いし浅虫はお約束にしてもいい。
 
 
  
  
   
  

 
ツーリングの最後、そういえば今日の国道4号線も酷かったなぁ ・・・ と、忌むべき国道の終点でも見てやろうと探しに行った。
”日本橋まで740km、新潟市まで478km” とあった。 
さすが日本一長い国道4号線。 そしてはじめまして、国道7号線。   

 
自転車乗りと話すと 『この道をずっと行くと青森まで行けるんだ・・・』 だとか、その事実にロマンを感じるようでうっとりして話す人が多いように思います。  そういう場面に出くわすたびに 『えっ?そら、漕いでたら何処でも着くやろ。 』 と頭に吹き出しがでてしまう自分は純真な心を失ったゲスに思えてきたりするのです。
 
 
 

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20150522

岩手より青森へ



松川温泉に泊まった。 白濁のいわゆる硫黄臭い硫化水素泉が素晴らしく、私としては珍しくめずらしく5回も入った。 この温泉地は八幡平アスピーテラインに繋がる八幡平樹海ラインの入り口にある。 八幡平アスピーテラインはいたく気に入ってリピート必須と心に刻んだ道。  去年は秋田県の世界一酸性度が高い玉川温泉から出発したけど、今年は逆の岩手県側から。
  
   
 

  
  
  
 
 
  
  
   

  
今年もにやけてきた。
雪の冷輻射にアスファルトには陽炎が立つほどのポカポカ、去年とまるで同じく。 
道際には遅い春を感じさせるフキノトウ、肌に感じる風の温熱感、耳には鳥のさえずり、五感にもビリビリくる。 そして両側の雪の壁は見る見るうちに立ち上がり標高1000mを超える頃には見事な雪の壁になった。   
 
  
 
  
 
  


朝から温泉に入って出てきたけど、峠まで2kmの場所にある藤七温泉にもピット・インした。 
標高1400m、絶景露天風呂で有名な温泉でここも白濁が濃い。 湯船には泥が溜まっていて、皆その泥を顔に塗りつけたりしている。 驚くことに横に人と話すと台湾人だった。 こんなところにまで・・・恐るべし外人旅行客。  ちなみにチンポ丸見えではあるが盗撮ではない。 目隠しもない湯船の横を樹海ラインが走っているである。 むしろ道から見えるところでチンポ出すなと言いたい。  おもしろいことに、ここは混浴でもあって道の横の温泉にオバハンも盛大に入っていた。
 
 
 
   
 
  
  
   
 
  
  
 

  
 

  
 
  
 
岩手、秋田県境の峠を越え後ろを振り返る。
去年のショットと比べると雪が少ない。 でも、この道の素晴らしさは変わらない。 

  
   
  


   
  
  

 
20kmを超える壮大な雪の壁をこえ秋田側に下り降りれば電光掲示板が気温25度を示していた。 
八幡平の樹海、アスピーテラインの余韻を感じながらR262を北へ、秋田をあっという間に走りぬけ青森県に入った。
 
 
 
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20150518

岩手の一本さくら


 
さくらが今ほど一般的になったのはひとえにクローン種であるソメイヨシノに依る所が大きい。 それらの殆どは戦後から東京オリンピックの年当たりまでに植えられたもので、そこら中の川沿いや公園に植えられている。 まあそんなことだから、さくらといえば群生したものという印象が強く、東京で一本桜と言っても寺の境内あたりにある枝垂れ桜くらいしか思いつかない。
 
 

それとは対照的にここ盛岡で有名な一本桜が何本かあった。 

 



石割桜。 
100年近く前の1923年には国の天然記念物に指定されていたという有り難い桜。 
石割桜というから桜の幹のパワーで石が割れたのかと思ったら、雷で割れた岩からこの桜が生えてきたとの紛らわしい名前の桜。 さすが長寿になるエドヒガンだけあって、樹齢360年。 
ただ、、、いくら東北でも既に完全な葉桜であった。  

 
 


  


盛岡を西に向かい小岩井の方、雫石町にある弘法桜。
弘法様が杖を突き立てたところから生えたという言い伝えの桜。 弘法様は杖を突いたところから温泉が湧き出てきたりいろいろ伝説残しすぎです。
  
 
雫石町指定天然記念物で弘法大師の時代からということで樹齢800
少し山の方に向かってきたのだけどこちらも葉桜・・・
 
  


  
   

 
小岩井農場へ。 遠くから見ても道には人だかり。 さすが一本桜の名所最右翼。
実は3度めで、去年は角館はドンピシャだったのにこちらは桜の開花前だった。 そして満を持して今年。
  
  
 
  
 

  

残雪の岩手山をバックに一本桜。 これは絵になる。
上の葉桜になった弘法桜から10kmも離れてないのに満開であった。 ここの桜の開花はとても遅いのだ。  ただ、他が葉桜になったころこの桜の蕾が潤沢にあるものだから、鳥の食害の集中砲火を受けて例年より花のつきがかなり悪い(と横のおっちゃんが言ってました)。 
 
 
 
  

小岩井農場は鉄道の父、井上勝が木も生えない荒野だった場所に大農場を作る構想からじ始まったもの。 


鉄道敷設事業に携わる中で、数多くの美しい田畑を潰したことに対する悔恨の念。 このような荒野が 手付かずで放置されているのであれば、それを開墾して大農場を拓くことで、美しい田園風景を損なってきたことの埋め合わせをしたい。 それから130年後の今のこの景色。 人の手が入った美しい自然。 日本の里山とは違う西洋を見てきたものだからこそ作ることができた姿。 
 
 
  
  
 
 
  
 
 
  
  
 


 

 
岩手山を反時計回りに回りこむようにして走った。
途中ダートの林道際に佇む一本桜。
そして最後は上坊牧野の一本桜   
 


葉桜から満開まで・・・
驚くべきことにすべての桜、範囲はわずか半径12km圏程度であるにも関わらず植わる場所によって様々な姿を見せていた。  樹種は関東近郊の一本桜が枝垂れ桜が多いのに対してすべてエドヒガンである。 



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20150513

山形のち仙台



JRの駅に貼ってある観光地のポスターはキャッチーでいつも見入ってしまう。
もう何年も前になるけど山形の立石寺のポスターがはられていてずっと行ってみたいと心のなかにあった。



とは言ってもここに至ることになったのは偶然である。 
本当は山形から蔵王スカイライン経由で仙台に入るつもりだったのに噴火警戒レベルアップで蔵王スカイラインが通行止め。 せっかく早割で山形までチケットを買ったのに ・・・ と泣きながら地図を見ていたらこの山寺こと立石寺は蔵王のすぐ北側にある事に気づいた。 さらに山寺経由でも奥羽山脈を超えて仙台に抜けることも可能であった。 
  
  
  
   
 

  
  
  


山寺というだけあって山道をずんずん登るその途中に”せみ塚”とある。
”閑さや岩にしみ入る蝉の声”
芭蕉の句をしたためた短冊をこの地に埋めて石の塚をたてたもの。
 
 

芭蕉は当初この寺に来る予定はなく、尾花で人に勧められここに立ち寄りこの名句がうまれた。 世界遺産の中尊寺もこの寺も慈覚大師の建立。 そしてその800年後、奥の細道で芭蕉が句を読んだという共通点がある。
  
 
   
  
 
  
  
 
途中仁王門には運慶の弟子が作ったという仁王像が安置され ”邪念あるものはこれ以上登るな”と睨みをきかしていた。 門の横は紅葉と新緑の不思議。 そして仁王門を抜けるとそこは山肌の奇岩に仏殿やお堂がへばりついていた。
  
 
 




  
 


山寺随一の展望は天下泰平を祈る道場である五大堂。 
春の風が通り抜ける木造のバルコニーから谷筋の家々から新緑をまとう山肌までのぞむ。 
その先の大きな峰、奥羽山脈をみれば、雪が少し残るその山肌に道のようなものが見えていた。 
あの峠を超えると宮城県、そして仙台まで至ることができる。


 

    
 


谷筋を山形、宮城の県境となる山にむかう。 道標には”山形縣” とあった。
”県” に変わるのは戦後らしいから、70年以上もここに突っ立っていたことになる。   
 
  
 
  
 

  
 



はじめこそ雪国の春先らしい荒れ具合の道を楽しんでいたのだけど終にはこうなってしまった。
見上げると頭上には九十九折の道が連なる県境まで4km も残す場所。  この時点でこの有り様だと峠まででも間違いなく1.5 時間は掛かる。 峠を超えても日照時間が短い東側の宮城県に入ったらもっと酷いかもしれない。 ついでに言うと猿はキャーキャー叫びながら頭上の木を渡り、虻だかブヨが顔の周りを飛び回るし、雪を踏み越え雪解け水の跳ね上げで靴の中までもう湿っていた。 ・・・ こういうときの判断は歳とともにめっきり弱気になった。
 
  
 
  
 
 

 
結局、山越えは断念し県境超えは輪行に取って代わられた。
仙台は半年ほど住んだことがある街。 久しぶりの仙台はあの頃とは比べ物にならないほど賑い華やかになっていた。 仙台の夜は名物牛タン。 東京にも五萬と牛タン屋はあるがこんなに分厚く柔らかい牛タンは初めてかもしれない。 値段も豪華だったけどこれはいい。  
4度目の自転車東北旅。 



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