さくらが今ほど一般的になったのはひとえにクローン種であるソメイヨシノに依る所が大きい。 それらの殆どは戦後から東京オリンピックの年当たりまでに植えられたもので、そこら中の川沿いや公園に植えられている。 まあそんなことだから、さくらといえば群生したものという印象が強く、東京で一本桜と言っても寺の境内あたりにある枝垂れ桜くらいしか思いつかない。
それとは対照的にここ盛岡で有名な一本桜が何本かあった。
石割桜。
100年近く前の1923年には国の天然記念物に指定されていたという有り難い桜。
石割桜というから桜の幹のパワーで石が割れたのかと思ったら、雷で割れた岩からこの桜が生えてきたとの紛らわしい名前の桜。 さすが長寿になるエドヒガンだけあって、樹齢360年。
ただ、、、いくら東北でも既に完全な葉桜であった。
盛岡を西に向かい小岩井の方、雫石町にある弘法桜。
弘法様が杖を突き立てたところから生えたという言い伝えの桜。 弘法様は杖を突いたところから温泉が湧き出てきたりいろいろ伝説残しすぎです。
雫石町指定天然記念物で弘法大師の時代からということで樹齢800年
少し山の方に向かってきたのだけどこちらも葉桜・・・
小岩井農場へ。 遠くから見ても道には人だかり。 さすが一本桜の名所最右翼。
実は3度めで、去年は角館はドンピシャだったのにこちらは桜の開花前だった。 そして満を持して今年。
残雪の岩手山をバックに一本桜。 これは絵になる。
上の葉桜になった弘法桜から10kmも離れてないのに満開であった。 ここの桜の開花はとても遅いのだ。 ただ、他が葉桜になったころこの桜の蕾が潤沢にあるものだから、鳥の食害の集中砲火を受けて例年より花のつきがかなり悪い(と横のおっちゃんが言ってました)。
小岩井農場は鉄道の父、井上勝が木も生えない荒野だった場所に大農場を作る構想からじ始まったもの。
鉄道敷設事業に携わる中で、数多くの美しい田畑を潰したことに対する悔恨の念。 このような荒野が 手付かずで放置されているのであれば、それを開墾して大農場を拓くことで、美しい田園風景を損なってきたことの埋め合わせをしたい。 それから130年後の今のこの景色。 人の手が入った美しい自然。 日本の里山とは違う西洋を見てきたものだからこそ作ることができた姿。
岩手山を反時計回りに回りこむようにして走った。
途中ダートの林道際に佇む一本桜。
そして最後は上坊牧野の一本桜
葉桜から満開まで・・・
驚くべきことにすべての桜、範囲はわずか半径12km圏程度であるにも関わらず植わる場所によって様々な姿を見せていた。 樹種は関東近郊の一本桜が枝垂れ桜が多いのに対してすべてエドヒガンである。
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