20150513

山形のち仙台



JRの駅に貼ってある観光地のポスターはキャッチーでいつも見入ってしまう。
もう何年も前になるけど山形の立石寺のポスターがはられていてずっと行ってみたいと心のなかにあった。



とは言ってもここに至ることになったのは偶然である。 
本当は山形から蔵王スカイライン経由で仙台に入るつもりだったのに噴火警戒レベルアップで蔵王スカイラインが通行止め。 せっかく早割で山形までチケットを買ったのに ・・・ と泣きながら地図を見ていたらこの山寺こと立石寺は蔵王のすぐ北側にある事に気づいた。 さらに山寺経由でも奥羽山脈を超えて仙台に抜けることも可能であった。 
  
  
  
   
 

  
  
  


山寺というだけあって山道をずんずん登るその途中に”せみ塚”とある。
”閑さや岩にしみ入る蝉の声”
芭蕉の句をしたためた短冊をこの地に埋めて石の塚をたてたもの。
 
 

芭蕉は当初この寺に来る予定はなく、尾花で人に勧められここに立ち寄りこの名句がうまれた。 世界遺産の中尊寺もこの寺も慈覚大師の建立。 そしてその800年後、奥の細道で芭蕉が句を読んだという共通点がある。
  
 
   
  
 
  
  
 
途中仁王門には運慶の弟子が作ったという仁王像が安置され ”邪念あるものはこれ以上登るな”と睨みをきかしていた。 門の横は紅葉と新緑の不思議。 そして仁王門を抜けるとそこは山肌の奇岩に仏殿やお堂がへばりついていた。
  
 
 




  
 


山寺随一の展望は天下泰平を祈る道場である五大堂。 
春の風が通り抜ける木造のバルコニーから谷筋の家々から新緑をまとう山肌までのぞむ。 
その先の大きな峰、奥羽山脈をみれば、雪が少し残るその山肌に道のようなものが見えていた。 
あの峠を超えると宮城県、そして仙台まで至ることができる。


 

    
 


谷筋を山形、宮城の県境となる山にむかう。 道標には”山形縣” とあった。
”県” に変わるのは戦後らしいから、70年以上もここに突っ立っていたことになる。   
 
  
 
  
 

  
 



はじめこそ雪国の春先らしい荒れ具合の道を楽しんでいたのだけど終にはこうなってしまった。
見上げると頭上には九十九折の道が連なる県境まで4km も残す場所。  この時点でこの有り様だと峠まででも間違いなく1.5 時間は掛かる。 峠を超えても日照時間が短い東側の宮城県に入ったらもっと酷いかもしれない。 ついでに言うと猿はキャーキャー叫びながら頭上の木を渡り、虻だかブヨが顔の周りを飛び回るし、雪を踏み越え雪解け水の跳ね上げで靴の中までもう湿っていた。 ・・・ こういうときの判断は歳とともにめっきり弱気になった。
 
  
 
  
 
 

 
結局、山越えは断念し県境超えは輪行に取って代わられた。
仙台は半年ほど住んだことがある街。 久しぶりの仙台はあの頃とは比べ物にならないほど賑い華やかになっていた。 仙台の夜は名物牛タン。 東京にも五萬と牛タン屋はあるがこんなに分厚く柔らかい牛タンは初めてかもしれない。 値段も豪華だったけどこれはいい。  
4度目の自転車東北旅。 



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2 件のコメント:

  1. こんにちは いつも記事 楽しく拝見させてもらってます。写真がきれいなのと Ti自転車が良いですね。
    今回 宮城の記事(石巻市在住なんです)なのでコメントさせてもらいました。
    二口峠を走ったのだと思われます 多分宮城側のほうが積雪の度合いはいくらかマシだったとは思いますが難儀するのは間違いないでしょうね・・・僕は数年前に秋に宮城側から山寺までMTBで越しましたが長いなあという印象がありますね。 次の記事が楽しみです。

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  2. 石巻ですか。 一度水没してしまった石工に少なからず関わりがありましたので石巻というか陸前高田には何度も行ったことがあります。 懐かしい。 

    そういえば宮城は雪自体少ないですよね・・・ ダート情報からどろんこ予想してしまってロードなんで下りも歩きだと相当時間掛かると思ってしまい。。。  秋は紅葉は開門期間少し外せば良さそうですね。  この先は宮城はすっ飛ばしてしまうのでご期待に添えずすみません。

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