日本における米軍基地の75%が沖縄に存在する。 沖縄の面積の10%が米軍基地に供されている。 そして、この嘉手納基地は羽田空港の約2倍の広さで日本最大の空軍基地である。
道の駅嘉手納からはすぐそこに滑走路を離着陸するF15戦闘機を見ることができる。 軍ヲタの方々などは無線機片手に「次は〇〇XX輸送機だ」などと話し合いながら長尺レンズを構えていた。などと言いながら、私も戦闘機が特に好きでもないのにこうして必至に流し撮りまでしてしまうツボ感がある場所、嘉手納。
嘉手納より沖縄東海岸を北上した。 ここは終戦後よりアメリカ軍が基地を構えるキャンプ・シュワブ近くの辺野古。 今、普天間基地移設場所として脚光を浴びている場所である。
このペンキ塗りの雨戸もそうだけど街全体になんとも言えない郷愁感が漂っていた。
このファサードまさにアメリカの栄華を連想させる60年代デザイン。
1961年型シボレーインパラのリアデザインもこんな感じになっている。
ノスタルジックな感覚と更には廃墟感。 でも、人がいないわけではない。 開いた窓からはテレビの音が漏れ聞こえ人は住んでいる気配がする。 何を生業としているのか?まるで見えてこない。なんだか奇妙な感覚がする街。
戦後、特にベトナム戦争時の1960年代には米兵で大変な賑わいだった街。 ここで商売をしていた人の中には当時のサラリーマンの一月の給料を一日で稼ぐ人もいたのだそう。 特に基地近くの店ではキャッシャーにはその日のレートが示してあってここは40年前までアメリカがったことを意識せざるを得ない。 本州に居ると直接円安の恩恵など感じることはないけれど、ここでは最近の円安で多少街に出てきてくれるアメリカ兵も増えてきて生活に直結するほどの影響があるときいた。 一方、辺野古基地反対派は実は辺野古の住民などおらず何処かから集会で集まってくるのに地元にお金を落とさないのだとか。 もっとも、それに付随してくる報道陣はお金を落としてくれるそうだけど。
戦闘機・ヘリコプターの墜落事故、米軍人による事件など、大きな不安を与える問題も多く発生しているけれど、その一方で基地内で働く日本人の給与、基地に住む軍人とその家族の消費などの基地からの収入は年間2000億円を超えている。 このように廃れ廃墟然とした街があったとしても、もはや基地なしではやっていけないのが沖縄の現状。
昼食はこれ。
辺野古の少し南だけれど国道329号を走っていると車海老レストランの看板があったからだ。
そういえば沖縄県は日本有数の車海老養殖地だった。
踊り、天ぷら、焼き、フライ。 いったい何匹食べただろうか? エビ好きも思わず満足。
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