三陸のリアス式海岸沿いを走るということ、それは海に近い地盤の低い市街地と、その市街地同士をつなぐリアス式海岸の断崖の上を走る山がちの道を繰り返しを走るということ。
それはつまり壊滅的に破壊された市街地を走って味わう空虚感、そしてそこを抜けると絶賛復興中の土木工事関連のダンプや大型車が頻繁に往来する山道を走る抑圧感の繰り返し。 しからば、海の眺望を楽しむか?といっても、その眺望がひらける場所もほぼ無い。 すなわちこの行程はあまりハッピーなものではなかった。
市街地がメチャクチャになったのに対して、この雄大に続く断崖は崩落など含め殆ど影響を受けてないと聞いた。 自然は悠々としたもの。
そして、人の暮らしをメチャクチャにしたものが自然ならば、人が寄り添い、頼り、癒やしてくれるのも自然の姿でありその恵み。 こういう場所はいろんなことがそれほど複雑じゃない。
リアス式海岸を走る陸中海岸シーサイドラインの断崖地形から降りてきた譜代という場所。
防潮堤のお陰で被害が最低限で済んだ場所である。 ここからの北上は壊滅的に壊された市街地はなくなって不思議なくらい気分的に楽になった。 もちろん断崖地形のアップダウンがなくなって体力的にも随分楽なのだけど。
あまちゃんの舞台、北限の海女の里、小袖海岸をすぎれば久慈の市街。
人影も少ない田舎道ばかり走って来たものだからのんびり気分のまま久慈に入れば面食らった。
それまでの雰囲気を掻き消すように大型車の車列も途切れることがない東北を貫くR45号が横たわっていたからです。
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