20151211

Qualite de Vie

  
 
  

 
サイクリング途中ロワール河畔で蚤の市が開かれていた。
売りだされている品を見るとどれも酷いもんである。 ご覧のように対ではなくタイヤ1個とか、どう見ても中国人が日本風に描いた絵とか、カセットデッキとかボロボロの服とか恥ずかしげもなく売られている。 私がこのレベルの物品が売られているのを日本で見たことがあるのはアンタッチャブルゾーンの大阪西成区釜ヶ崎くらい。 じっさい、靴が片方だけとか、サイズが左右違うから大特価とか見かける。 日本人は恥の文化だからか?ややもすればこのレベルのものを売ること自体が自分の被認識レベルを毀損しかねないとも感じる。 

  
でもその感覚で見るとどうもイメージが違う。 生活に困って売っている風でもなく、人の良さが滲み出ていて騙して売りつけようなど言う気配などみじんもない。(パリの蚤の市はそんな感じありありでしたが)  タイヤや壺を買うはずもないどう見ても旅行中の東洋人が自転車で通りかかれば話しかけ、最後には笑顔で”bon voyage !!” ただコミュニケーションの場としても楽しんでもいる。皆がそうだった。 日本人がフランスを語るときよく”流石おフランス” 等というけれどあの日本人の多くが持つであろう少し斜に構えたフランスのイメージとはまるで違っていた。

   
この話をしたフランス通の人が”Qualite de Vie(カリテ・ドゥ・ヴィ)” と言う言葉を教えてくれた。 すなわち”quality of life” = 生活の質。 フランス人はこれを大事にすると。 お金など普遍的な価値ではなくあくまでも自分基準で心地よく、リラックス出来る環境に身をおくことにとにかく拘る人が多いと。  そもそも日本人の特徴として言われる”恥の文化”は他人から見た自分、相対化した自分から来るもの。 こういう文化圏に生まれた日本人にはこの自身の絶対的価値が前提の”Qualite de Vie” と言う概念は憧れまいか? 私はとても憧れる。 
 
 
そして今日”人生はカリテ・ドゥ・ヴィ” だよ。と人にしたり顔で言ってしまった・・・ 早速”カリテ・ドゥ・ヴィ” と言っている自分を演出するという相手との相対化を行ってしまったのだ。
 
 
 
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