間歩と呼ばれる銀坑脈に沿った坑道
天然資源が乏しい日本のイメージとはあまりにも掛け離れている。
戦国時代から江戸時代の最盛期には世界の銀の約1/3が日本で産出されていたという事実。
そしてこの石見銀山での産出量がそのかなりの割合を占めていたこと。
江戸幕府支配の後、明治期の産業遺産としての精錬所跡の姿
収銀湿式製錬法と呼ばれる方法で、最上段までトロッコで運ばれた鉱石を酸やアルカリ溶液で鉱石から銀を溶かした後に、銀を取り出した。
現DOWAホールディングスにより今の額にして数十億円を掛けて作られたこの精錬所は鉱石の品質や精錬能力の低さによって採算がとれずわずか一年半で創業を停止した。
今は斜面に石の擁壁、八段の基壇が残るのみ。 森のなかに美しき廃墟。
銀の採掘で賑わった大森の街並み。
日本で今まで見たことのない特徴的な色の統一感。 ヨーロッパのテラコッタ瓦を思わせる赤褐色。 でもあの素焼きとは全く違う質感。 出雲地方の来待石を粉砕し釉薬とした石州瓦だと知った。
木と白壁の日本の街並みに赤瓦。 今まで知らなかった日本。
島根まで来て・・・と言っては失礼だけど幹線は意外と交通量があってあまり楽しくない。 そして試しに幹線から外れてみたらほとんど山の中。
近代に至るまで銀の精錬のため大量の薪炭用木材が必要とされたが、石見銀山では適切な森林の管理がなされ環境への負荷の少なかった。 そして今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されてきている点が世界遺産登録時に特に評価されたポイントだと知った。
この暗いトンネルを抜け、往時銀を運び出した日本海に面した港に下った。
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