20140730

土佐で一番古い沈下橋

  
  
四万十川に気を良くして、居酒屋で地元の人と話をしていたら四万十は観光用に『最後の清流 』などと祭り上げられすぎで、高知市により近い仁淀川の方が綺麗だとおっしゃる。 

 
確かにググってみれば、BODなどデータ的にも仰るとおりなのです。 こうして川を沈下橋から見ても川床の丸石もほのかに見えてまして、透明度も仁淀川のほうが綺麗なように感じます。  たどれば、市街地のすぐ手前までは人口過疎地ばかりを川筋が流れ、汚染の原因となる場所が無いのでそれももっともです。
その仁淀川上流に高知で一番古い沈下橋があると聞きました。
  



  
日本には一級河川及び支流には合計410 の沈下橋があって、都道府県別に見ると高知県がイヤらしい数字69 でトップ。 その後には大分県、、徳島県、宮崎県 ・・・と。  その地域を見れば、その理由は自ずと浮かび上がってきます。 台風の通り道、水害の多い地域。



沈下橋の一見して分かる特徴は、『欄干(手すり)がない』こと。 増水の時は,川に沈むことを前提で,そのことから潜水橋の名もある。  欄干など流れに抵抗するものは付けられていない。 橋床は橋脚には緊結されておらず、橋床に掛かる水圧で橋脚から引き剥がされたとしても橋脚にまで被害が及ばず、災害後、路盤を置けばすみやかに復旧できることを念頭に置いてた『柔』の設計がなされている。
 
 
 


 

  
  

 
というのが一般的な話だけれど、沈下橋は戦後作られたものが殆どなのに、この簡素な作りのままなのは立派で頑丈な橋を作るほどの経済合理性がないというのが現実のようです。 なので過疎地域でも木を切り出したり、農作物を搬出するためのトラックが通る必要がある場所には、それに対応できる橋がかけてある。  

 
   


   


 
山の上の道から見た仁淀川にポツリと掛かるその橋は、いかにも素敵でした。
久喜沈下橋(1936年) 土佐で一番古い沈下橋。 それでも築後80年弱。 この時代のコンクリートは骨材が良かったのでしょうか? ヒビ一つ入らず立派に役目を果たしていて驚きます。





沈下橋に古いものがないことには理由があります。 
歴史的にみても,流域は舟運が中心で橋というものは必要がなかった。 主産業であった木炭や木材のほか日常生活物資,そして人間も舟や筏で運んだことから,橋はむしろその通行の邪魔になる。 対岸にも舟で渡ればよくって、実際つい最近まで「川渡し」 が多く残っていた。  沈下橋が造られたのは,車社会の浸透や生活の中から木炭が消え,舟運が廃れるに伴って。 
 
そういう意味ではこの比較的古い橋が出来てあり続けたのは、舟で渡すほどの川幅でもなく、舟運には適さない仁淀川の急流地帯だからということなのでしょう。 構造的にも鉄筋コンクリート造で橋脚、橋床が剛接合されている。 他の沈下橋とはいろいろ違います。 
 
 
 
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20140725

四万十川



梼原町(ユスハラ)。  脱藩志士たちが通った場所。 そのすぐ近く国道197号線の風早トンネルの上、四万十川源流の山間部にある梼原棚田。 全国ではじめて棚田オーナー制度を導入した棚田として有名だけれど、見る限り働いているのは普通の農家の人だった。 高知県は限界集落だらけ。 こういった風景に出会えることが嬉しい  


   

 
   

   
 

  
   

     
  

 
梼原川沿いの日本の田舎フレーバーっぷりは半端じゃない。 深い緑の木々に緑の川。 走りながら鼻腔を通してもその匂い立つ緑を感じる。 川には限界集落よろしくプライベート感たっぷりのシングル幅吊り橋がかかっていたり、川沿いを走るR439 も四国の3ケタ国道らしい雰囲気。
こういう場所はいくら走っても飽きることはない。





土佐大正で439国道からR381へと乗り換えれば谷筋はグンと広がり梼原川を吸収した四万十川が大きく蛇行しながら流れている。 市街地を抜けてきた四万十川はそれほど綺麗ではなくって梼原川の清流が合流することによってBODが下がるのだそう。  道からはさっそく合流後一つ目の茅吹手沈下橋が見えた。    
 
    

 
 





 


四万十川には47もの沈下橋がある。 だから走っていればそこかしこと出会うのだけど、長い距離を走り、たまたまこの長生沈下橋に至り、また偶然にそこに一両の車両が走ってきて沈下橋とこの予土線を同時にフレームに収めることは奇跡に近い。 というのも昼間に運航する予土線は上下線共3~4 時間に一本しかないのだから。   

  
 




 
観光客の「わ」ナンバーはおっかなびっくり。 郵便の兄ちゃんも農家のおっちゃんも軽のジモティは迷いなくかなりスピードで渡り切る。  沈下橋の日常の一コマ。 


    

 
天然うなぎは同じ場所のものでも当たり外れの振り幅がでかい。 
そりゃそうです。 人間だって田中のマー君もいれば、ルンペンの田中も居る。 鳩だって餌をやれば独り占めばかりするのから、一つも捕食できないのも居る。 これはアタリ。
 
 
カリッと脂の多い焼き魚に近い関西焼き。 噛むと脂がじわっと出て、香りが全然違う。 四万十川の青のりと同じような香りがした。
 
 

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20140721

四国カルスト



酷道で知られる通称よさく(439)国道
谷筋の道は2車線化されたばかりのようで快適で酷道とは程遠かったのだけど、いきなり道は一車線の山道に変わり、すぐそこに天狗高原への分岐があった。


 


 

  
津野町の王在家(おぜいけ)地区。 在家と名のつく地名は中世からある田畑を纏める役務を担った古い地名だと聞いた。 山に入って行けば丸石を積んだ美しい段畑があり、静かな山里がある。 こんな山の中に古くから人が住んできた理由にはやはり耕作に欠かせない「水」があったからだろう。 そういえばこの山道を走る間ずっと水の音がしていた。
この津野町は四万十川源流域の町でもある。

 
 

 
 





   


  

 
 

 
 


  

    
  


 

 
東西に長く広がる石灰岩の山である。 大量の雨、そして水に溶けやすい岩質からミネラル豊富な水が生まれ木を育て豊かな森が出来上がる。 その石灰岩が溶け出し創りだされたカルスト地形。 日本三大カルスト(四国カルスト、山口県の秋吉台、福岡県の平尾台)の中で標高1485mは最高標高のカルストである。 
 
 

その尾根が愛媛と高知の県境になっていて、度々高知県と愛媛県をまたぐ。 眼下に空気遠近で明暗が付いた尾根が連なりに夕日が消えいろうとしていた。  そういえば、自転車旅で山頂で宿をとる(とれる)ことは少ないのだから、このようなシーンには殆どお目にかかれない。 
プレシャスというやつ 



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20140717

横浪くろしおライン


 
龍馬が歩いた桂浜
このすぐ横には昭和3年に建立された高さ10mを超える大きな竜馬像がある。 この像が第二次大戦中の金属供出を免れたのは龍馬が日本海軍の創始者であったからという。  
 
 
 
外洋とは思えないほど凪いだ海
この太平洋に面した弧を描く土佐湾沿いに西に歩を進めた。
 

 




 
   

 
トンネルの向こうに見えたエメラルドグリーンの海、そしてお遍路さんの姿 
宇佐大橋の頂部を過ぎると真っ青な海と空の隙間にダイブしていく感覚

  
ここからはグイグイと高度を上げ半島の尾根を走る道。 海沿いのスカイラインといってもいい。
横浪くろしおライン。 度々『シャコタン☆ブギ』 の舞台になった。
 
 
  
   
   
   
  
   
 

   
  

 
この道はいい。 
海から断崖がスックと立ち上がってその上に道路がある。 海を見下ろし、海も空もすぐ近くでこんなに綺麗に青が見える。  なのに車にはめったに遭わない。  地形もそうだけど、木が要所要所で伐採されていて視界が上手く保たれている。 そして車が少ない。  海沿いの道数多あれど、この条件を満たす道はあまりないと思う。    
 
   
   


素晴らしい道を堪能し辿り着く場所。 須崎という場所。
そこに点在するご当地B 級グルメが鍋焼きラーメン。


具はシンプル。 コラーゲンが多そうなコリコリした親鳥の肉から出る脂。 醤油ベースの鳥スープ。 夏にグツグツした糞熱いラーメン。

 
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20140714

高知の日本一



私、路面電車がすぐ近くを通る街で育ったんで懐かしかった。 
高知市内の交通といえば路面電車だそうで、土佐電鉄の路面電車には3つの日本一がある。 
  
・ 今年110周年を迎えた、日本一古い電気鉄道会社。

・ 日本一長い軌道線のみの距離。(軌道線総延長25.3km

・ ”一条橋駅”と”清和学園前駅”の間は63mで日本一短い「停留区間」
  
  
 

 
すぐあちらに見えるのが隣の停留所なわけで63mの停留所間はさすがに短い。 
路面電車が2両編成とかだったら、両駅に被っちゃうんじゃないかと心配したほどです。
とは言え、都電荒川線とは違い停留所に人がいなかったり、降りる人がいない場合にはバスのように止まらずスルーしていきます。



路面電車だけでも3つの日本一があるくらいですから、土佐の国にはどれほど日本一があるのだろうと調べてみましたら、、、
 
・ 日本一の最高気温  41度                ・・・・・  ✘
・ 日本一の十分間降水量  49mm           ・・・・・  ✘   
24時間累積降水量  979mm               ・・・・・  ✘
・ 最大風速  69.8m/s                   ・・・・・  ✘
・ 日本一人口が少ない市町村(離島除)  389人   ・・・・・  ✘
・ 総面積に占める森林面積の割合  83.3%      ・・・・・   ❍
  
自然から随分圧迫されてる様子がまじまじと見えてきて、これじゃ神様が人は住むなと言っている様にも思えてきます。 いやいや、それは冗談で山に入れば国道ですら林道然として車も来ない魅力的な道、清流、そして雰囲気のある里山が方々にありそれはそれは魅力的な場所なのです。 でもこの圧迫されぶりじゃ本当に南海地震もありえるんじゃ等とも思えてきました。


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20140710

To 高知

  
   
 
  

 


  
 

  
 


室戸から高知へ向けて北西へ海沿いを走った。途中には急に風と雨が激しくなりずぶ濡れた。 
そういう時でも悠々と歩き、雨の中休憩していたりするお遍路さんを見ていると、なぜだか走った。
普通なら濡れてまで絶対走らないのだけど。  


 
この辺りから和歌山は日本でも有数の多雨地帯、台風の通り道でもある。 
そんな気候が造った建築意匠、土佐漆喰と水切り瓦の町並み。 水切り瓦と言って屋根のひさしと同じように壁にも水切りがある。 海からの強い風雨や台風から家屋を守るために、当地で独自に発達した雨仕舞いのための工法。 小さな庇は機能的には壁面へ直接雨が掛かるのを避け、漆喰の白壁を保護する役目だけれど、家の格を競うという意味もあって、微妙な窓の空け方など興味深い意匠だった。 
ここ室戸市吉良川町は重要伝統的建造物群保存地区である。

  
     
  
  
奈半利に入るとさっきまでの雨が嘘のようにいきなり晴れた。  
空の青は濃く、肌寒く湿った空気は一瞬で真夏になった。
 
 
 
ここにも水切り瓦、そして丸石塀の町並みがあった。 
街でも最大級の水切瓦の建物は登録有形文化財で最近まで製紙工場として遣われていたもの。
ガイドツアーさんが言うには漆喰や瓦職人も少なく、今補修するには瓦一枚1万円位掛かるのだとか。 下衆にも数えてみたら妻面だけで170枚もありやがる。  
   
 
 



  

土佐は龍馬をはじめ幕末から明治維新に日本のその後に影響を与えた人物の宝庫である。
室戸からでも、奈半利には中岡慎太郎、そして安芸にはこの人の生家がある。
 
  
  





土佐の山内家。その家紋三つ柏と岩崎家の三階菱が組み合わせこの三菱マークになった。
弥太郎の生家の裏の土蔵の妻面にもこうして。

 
 
そして三菱のルーツの地、安芸から高知のすぐ手前までは海岸線沿いに線路跡が快適なサイクリングロードとなっていた。 「高知についたならアレだな。」 と頭に描きながら走った。


 

  




  
 
 
  
 
 


いろんな場所を旅して思うことあります。
何かお願いする時やっぱり関西圏がお願いしやすい。 東北とかちょっとお願いしづらいです。 まあ自分が関西人だからなのでしょうけど、それは言葉からくる関西特有の空気感から来ているような気がします。

  
 
「一番脂が乗ってるやつがええねんけど、アカン?」って。
藁の火で自分で焼いて、切ってもらったら身がテラテラと光ってました。
最近は塩で食べるのが流行ってるんですけど、私はポン酢です。 ポン酢に玉ねぎ、みょうが、生にんにく・・・ 薬味を沢山。 スダチの香りが口に広がって関西の食文化だと思います。



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