20140628

After Morning Steak



久しぶりの湘南、わりと一生懸命(当社比)。


 

 
 


鎌倉スタイルっていうんですかねえ。
朝の犬の散歩中にカフェに入るとか、またその犬がシフォンケーキが好きだとか ・・・ 
まだ午前9時ですから、観光客もそれほどい無くて地元民の空気感が感じられます。
 
 
 
そしてここはNYスタイル?でもある。 だって朝の9 時からステーキ食わしてくれるんですから。 しかもステーキのアテはバターたっぷりのスクランブルにリッチ感が半端ないフレンチトースト。 こんなハイカロリーを運動もせずに朝から食ってたらアメリカ人になります。
 
 
  


  

   
   

 

 

 
  


ブランチ食べて、踵を返しパッと帰って東京で映画でも行ったら格好いいのでしょうけど、怠惰な人間はそうはいかない。  満腹感は私をヘリウムの入った風船のようなものにしてしまう。 なんとなく人の流れに流され、普段やらない鎌倉観光とかしてしまう。 なんとなくです。 


紫陽花の時期ですしそれはそれでいいのですけど。
 
 
 



  
 


なんだろ? 結局こうなる。
スイーツでガツンと血糖値を上げたはずなのに、こうなる。

 
 
帰り東京の手前、川崎でたまらず左に曲がった。
あちらに見える汁なし担々麺は私が知るかぎり地球でトップ級に舌がシビれる麻辣。 麻辣の『麻』が際立ってまして、そのシビレ具合は何を食べてるかわからなくなるほど。 でも病みつきになる逸品。



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20140624

Seafood Hopping


  
マスコミ絶賛露出気味の久慈駅構内で売られる駅弁である。
7 時開店、僅か限定20食。 気合を入れて朝の645分に行ったら既に10人も並んでいた・・・


  


朝からうに弁当を食らう。
蒸しウニにも関わらずミョウバンの苦味のアタック。 
「名物に旨い物なし」 ・・・ 知ってた。 
でも、経験もせずに言いたくない。




 
  

 
 





久慈からは、荒々しいリアス式海岸とは打って変わってのどかな海沿いの道。
ちょうど小腹が減ってきた頃、小船戸という寂れた漁港に差し掛かった。 そこにチェックすらしていなかった「はまゆう」 という食堂。  


大当たりだった。
ウニもアワビもわりと当たり外れが多いけど、実にうまかった。 
客は居ないしこの店大丈夫か?という不安とのギャップが半端じゃなかっただけに感極まる。 
 
 
  




 
種差海岸ではチェックしていた波光食堂。 
食堂にはなんと台湾人観光客がいた。 海岸には香港人もいた。 日本人もあまり来ないような場所に何を見て来たのだろうか・・・  


朝の蒸しウニの味がアレだっただけに、ここの蒸しウニの美味しさが際立った。 なんでも、いい時期の新鮮なうにを最新の冷凍技術で保存しているって言ってたなあ。 シンプルないい出汁の塩ラーメンにほんのりと奥深い甘みの蒸しウニ、蟹、ホッキ貝。 華を添えているのでございます。 
 
 
 

   
    

 
 




 
更に北上、重い腹を抱え八戸に入ってきた。
そして、陸奥湊市場近くにある”みなと食堂”に滑り込んだ。 去年、今年と同じく青森の鰺ヶ沢で食べそ損ねていたヒラメ丼をば。 ヒラメは青森の県魚(らしい)。 こんなに大量のヒラメを丼にして食べるなんてなんと贅沢な。 




 
 

 


 
  


連食の最後。 トドメとばかりに超大盛り、180gのウニにをシンプルに飯に合わせた。
新鮮な地物は殆どミョウバンを感じないことが多いと言う経験則のもと買ったこれには閉口した。 散々食べて結構腹が膨れた時点でミョウバンのエグミがきついウニ超大盛り。 帰りの飛行機の中までウニゲップが止まらず、黒星で旅を終えることになった。  同じ地のものでも当たり外れあるんだよなあ・・・


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20140620

Move Up the SANRIKU

  
    
     

  
  
  
  
  

  
 


三陸のリアス式海岸沿いを走るということ、それは海に近い地盤の低い市街地と、その市街地同士をつなぐリアス式海岸の断崖の上を走る山がちの道を繰り返しを走るということ。

  
 
それはつまり壊滅的に破壊された市街地を走って味わう空虚感、そしてそこを抜けると絶賛復興中の土木工事関連のダンプや大型車が頻繁に往来する山道を走る抑圧感の繰り返し。 しからば、海の眺望を楽しむか?といっても、その眺望がひらける場所もほぼ無い。 すなわちこの行程はあまりハッピーなものではなかった。

 
 

  




   
  
 
   
 
 




 
市街地がメチャクチャになったのに対して、この雄大に続く断崖は崩落など含め殆ど影響を受けてないと聞いた。  自然は悠々としたもの。  
  

そして、人の暮らしをメチャクチャにしたものが自然ならば、人が寄り添い、頼り、癒やしてくれるのも自然の姿でありその恵み。 こういう場所はいろんなことがそれほど複雑じゃない。
 
 
 

   
リアス式海岸を走る陸中海岸シーサイドラインの断崖地形から降りてきた譜代という場所。
防潮堤のお陰で被害が最低限で済んだ場所である。 ここからの北上は壊滅的に壊された市街地はなくなって不思議なくらい気分的に楽になった。 もちろん断崖地形のアップダウンがなくなって体力的にも随分楽なのだけど。
 
  
 
    
    
    
  
 
あまちゃんの舞台、北限の海女の里、小袖海岸をすぎれば久慈の市街。
人影も少ない田舎道ばかり走って来たものだからのんびり気分のまま久慈に入れば面食らった。
それまでの雰囲気を掻き消すように大型車の車列も途切れることがない東北を貫くR45号が横たわっていたからです。 



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20140615

PRACTICAL



人間は膝ほどの高さの水が押し寄せただけで流されてしまうのだそう。 ましてや数メートルに及ぶ波が押し寄せたら ・・・・ やはり波が来る前に逃げるしかない。
   
 

  
   
   
    
   
    


この三陸海岸沿いを走っていて目につくのが

”津波浸水区域 前方〇〇m、後方〇〇m” という看板

逃げる際に先に行くべきか?逆方向に行くべきか? 生き死にに関わる実践的な看板である。
 




田野畑村机。 見た中では37m が津波に依る浸水区域の最高標高地点だった。 12 階程度のマンションに相当する。 津波の到達高さとしては無人島を除けば同じく宮古重茂姉吉地区の40mに続く2番目の高さだった。

 
 
津波自体の高さは岩手よりも福島の方が高かったようだけれど、その特長ある地形から津波の遡上高さは岩手の方がずっとたかかったようである。 海からすぐに断崖が始まるリアス式地形によって海に繋がる細かな入江には逃げ道の亡くなった津波が陸地を駆け上がった。  
 


一番の遡上高さだった姉吉地区には1933年の三陸地震による津波の後建てられた此処より下に家を建てるな」 の石碑があり、その教えを守っていた姉吉地区では東日本大震災の津波の被害を免れている。 これもまさに、 実践的な教えである。 
 

 
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20140611

SURVIVORS


 
 


震災から3年以上経ち、ほとんど報道もされなくなったこの場所は未だ復興は遥か彼方の現実が有った。 海に近い平地は見事に建物は流れ、若干の高台でもあれば、そこは無傷の建物が残っていた。


 
宮古漁港沿いの冷凍倉庫などはすでに復旧稼働しているものも少なくないが、その後方民家があるべき部分は未だぺんぺん草が生えているようなところが殆ど。  しかし、海岸線からわずか50mほどの場所に黒壁をまとった寿司屋がスクっと建っている。  聞けば、RC造でも鉄骨でもなく純木造だというではないか ・・・   新築ではなくモロに津波を被った場所にもこのような木造SURVIVORが居ることに驚きを隠せなかった。

  


  
その建物は魚正という寿司屋であった。 
残念ながら街を見る限り復興はまだまだである。 しかしその現実を見た途端、こんなSURVIVORがいて、こうやって営業されているところもあると感動し、その幸運に肖りたいと寿司を口いっぱいに頬張った。 

  
 

 
 

  
 
 
 
浄土ヶ浜では、イタリアはカプリ島よろしく青の洞窟が有る。
そこでは、細かな磯にも入れる小さなザッパ船に乗っての遊覧が出来るのである。 
そして、写真に映る”第六飛魚” 号 ・・・ 先の震災で流された数多くの船の中唯一生き残ったSURVIVORである。  残念ながら、遊覧を終えてからその事実を知らされて「それ乗りたかった!」 と地団駄を踏んだ。

 
 

   
 


宮古の南、未だ不通のJR山田線の津軽石という駅の傍。 線路の先に見えるガソリンスタンド。 ここの裏が盛合博美氏の作るフルオーダーフレームEMME AKKAの工房である。 近所の方に取り付いで頂き、レース遠征中で電話越しの話しか出来なかったのだけれど・・・ 
  
  
最近は、チタンやステンレスフレームの制作も復活したようで、この逆境に強い姿はまさしくSURVIVOR である。
  
 
 
  
 
 
  
 
 


津波のために1 階部分が全滅、木造の母屋と米処理工場、詰場が完全に流され、RC造の建屋も壁は抜け貯蔵タンクと瓶詰め商品すべて流された。  この宮古の菱屋酒造店もまた、大いなるSURVIVORである。
  
  
いまどき日本中の酒が東京で手に入るわけだけれど、この地で生原酒を買って東京に送るという面倒なことをするのもよかろう。
  
 
 

 
  


最近の日本酒はスクリューキャップが圧倒的に多い。
残念ながら菱屋酒造の酒も御多分にもれずスクリューキャップでバーエンドには使えなかった。



であれば ・・・・ バーエンドにも使える同じ被災地SURVIVORの酒。  
宮城県は新沢醸造店の純米酒 ”伯楽星 ” がそれである。 (ドヤ顔)



 
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