20141127

山の辺の道



奈良に来たのは5回目くらい。子供の頃からの回数だし奈良を意識してみたことも殆どなかったけど、そこはかとなくそのスゴミがジワジワ来た。 鎌倉や江戸時代はおろか、平安時代ですらひよっ子だと思わせる雰囲気。 大和朝廷さんのお膝元。 そこら中にあるちょっとしたこんもり見える丘はすべて古墳である。 

 
 
  

 
刑部皇子が埋葬されたとされる高松塚古墳の次は蘇我馬子が埋葬されていたと言われる石舞台。
巨石墳墓として有名な石舞台もかつては土がこんもりとかけられていたものが風化露出したものだそう。 

 


 
 




  
飛鳥から飛鳥川沿いに平城京までサイクリングロードが行ったり途切れたりしながら存在していた。 その途中江戸期以前の建物が多数存在する今井町。 近世以前の町並みがこれだけまとまって残っている場所は日本では他に無いと書いてあった。 当然重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。 


この辺りには造り酒屋が点在するのは崇神天皇が酒造りを命じ、三輪山の神々に奉納したという伝承があるためだそう ・・・ って言うけど、崇神天皇というのは初代天皇の桓武天皇から数えて10代目。 生まれたのは紀元前148年。 神話の世界と現実の世界のミクスチャ。
 
 
  

 
 


神の山”三輪山”の麓から山の辺の道。 
”山の辺” とはその字の如く山に沿った小高い道。 そこから日本で三番目に大きいらしい鳥居が見えた。 日本で一番古い~大神神社”  一番古い神社は出雲か伊勢神宮か位に思ってたとんだ無知坊。
 
  
 





ここには本殿がない。 背後にある三輪山そのものをご神体としているから。 とても古い神道を受け継ぐ神社である。 神道は森羅万象に宿る神を祀るものだった。 建物の中になんらかの形あるものを祀る本殿を建てるようになったのは後に伝わった仏教の影響。三輪山は、木や草にまで神が宿るとされるため入山も禁止、一切斧を入れることをせず、松、杉、ヒノキなどの大樹に覆われている。




   
 
 


参道でのお食事。
三輪素麺って有名ですけど、この三輪山の三輪だってはじめて知った恥ずかしさを隠しながら戴くのはシンプルに柿の葉寿司とにゅうめん。 温かい素麺のことを何故ににゅうめんと言うのか? 知りもしなければ調べもしませんでしたが、「にゅうめん」 を変換すると「煮麺」 と図らずも知るに至りました。
  
  
 

 
 


大神神社のすぐ先、檜原神社。 大神神社の摂社。 祀られているのは天照大神。  
天照大神?伊勢神宮? と思っていたら天照信仰の地としてはこちらの方が古いのだそう。 
その後、伊勢に移されたため、ここ”元伊勢” とも呼ばれていて  ・・・
 
 
この大和という地の奥深さ、凄み。 観光資源としてもなぜにここまで地味なマーケティング? 
いや、それがまたいい。 
 
 
 

 
 









 

  
   




   
ほんと、石を投げれば古墳に当たる位の密度。 古墳の数から言えば日本で6番目というのが信じがたいのだけど、古墳の規模が大阪を除く他のものとは違って大きいからえらく目立つ。


あっ、10代目天皇さんですね。 山の辺の道というのはダートか石畳ばかりでヘルメットにかけていたサングラス亡くしました。 今は平成。 天皇は125代です。

 









石上神宮も日本で最古級の神社。 仏教がまだ伝来していないころ、このあたりを支配していた豪族、物部氏の氏神。 物部氏は神道の祭祀を司る役割をになっており大和の国を牛耳っていた。 その後、仏教を重んじる蘇我氏と対立し、物部氏は滅ぼされる。  そのときの物部守屋を倒したのが聖徳太子。



 
明日香と、山の辺の道をサラッと走るつもりが消化不良感が半端ない。
サラっと走るだけでは済まない程の密度で日本創世に纏わる現場が有りまくりだからだ。
日本書紀くらい読んでから来たい場所。 いや、来なければならない場所。




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